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ジャッキー・チェン◎1954年、香港生まれ。7歳で親元を離れ、ユウ・チャンユン率いる中国戯劇学院に入学。10年にわたって京劇を学び、曲技、武術、演技、歌唱と、後のスーパースターに必要な素質を培う。卒業後、有能なスタントマンとしてすぐに頭角を現し、20代にして監督、撮影、照明、美術、小道具、セットまでこなせるアクションスターとして名声を確立。代表作に『プロジェクトA』(1984)、ハリウッドでも大ヒットした『レッド・ブロンクス』(1995)など多数。

昨年の師走、東京の地に国際的大スター、ジャッキー・チェンが降り立った。日本を訪れるのは2011年10月の『1911』公開時のプロモーション以来、実に6年ぶり。HANDA Watch Worldのアンバサダーとして来日したジャッキーが、自らの夢、そしてそのための道程について語ってくれた。


高級時計専門ブティックHANDA Watch Worldの代表にして、慈善活動家、教育者などさまざまな顔を持つ半田晴久。今回のジャッキーの来日は、彼と会うことが目的だった。そのためにプライベートジェットを利用して駆けつけたという。ふたりは初の顔合わせ。しかし、出会ってわずか5分で周囲が旧知の仲だと見紛うほど意気投合することは、想像に難いことではなかった。

「8か国語を操り、京劇をはじめとする中国文化にも精通し、慈善活動に熱心な人物」。ジャッキーは知人から半田のことをそう紹介され、大いに興味を持ち、そして、すでにHANDA Watch Worldのアンバサダーになることも快諾していた。

「中国の恵まれない環境の子どもたちのために、私はこれまで数十年をかけて約30校の学校をつくりました。それに対して半田さんはすでに130校を超える学校をつくっている。いったいどんな人なんだろうと、想像を巡らせていました。だから、初めて会った気がしません。もちろん、そう感じるのは半田さんがとても気さくな方だからということもありますが。これから先、さまざまなことを共にやっていきたいですね」

大切なことのためならば、分刻みのスケジュールを調整してでも自らが会いに行く、それがジャッキー流なのだ。

ジャッキーが世界を飛び回っているのは周知の通り。1980年代前半には、日本を含むアジア諸国で人気を博し、90年代後半にはアメリカとヨーロッパ市場を席巻。2010年代以降は、年間1800本もの映画が製作される中国大陸でも出演依頼が殺到している。そうした日々に疲れはないのだろうか。

「60歳を過ぎてもまだやるのかと言われますが、有難い機会が与えられているからには、やらないわけにはいきませんよね」

意欲は衰えるどころかますます旺盛になっているとジャッキーは笑う。

夢の象徴だった「腕時計」が思い出の結晶に

多忙なジャッキーにとって、時を刻む「腕時計」とはいったいどのような存在なのか。

「私にとって腕時計は、単に時間を見るためだけにあるのではなく、ファッションでもあるし、思い出の結晶でもある。いい時計を手に入れることは、子ども時代の夢のひとつでもありました。名付け親や父親がプレゼントしてくれたものであったり、成功したときに自分へのご褒美として買ったものであったりと、一つひとつの時計にストーリーがあるのです。腕時計は小さくてスペースもとらないので、たくさん並べてそれぞれの物語に想いを馳せています」

ジャッキーの3つの夢

ジャッキーには3つの夢がある。1つ目は、中国の映画人のために、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェイムに永遠の印を刻むこと。2つ目は、世界中のすべての子どもが教育を受けられること。そして3つ目は、平和な世界の実現だ。

1つ目の夢のために、ジャッキーはわずか7歳でキャリアをスタートしている。中国戯劇学院でサモ・ハン・キンポーやユン・ピョウらとともに京劇や武術を学び、20代にして早くもアクションスターとしての名声を確立。『プロジェクトA』(1984)や、『ポリス・ストーリー/香港国際警察』(1985)といった傑作を生み出す一方、『レッド・ブロンクス』(1995)や『ラッシュアワー』(1999)といった作品でハリウッドでも輝かしい成功をおさめ、演技、監督、脚本、スタントなどで数百にも上る賞を獲得。そしてついに2002年にその夢を実現したのである。さらに2016年には、その目覚ましい功績が称えられ、アカデミー名誉賞が贈られている。

「56年間、映画産業で過ごし、200本以上の映画を撮影し、たくさん骨折をして、ようやく私のものになりました」

実はジャッキーは、2つ目、3つ目の夢のために、これまで30年にもわたって慈善事業を続けている。過去のインタビューでは、彼の優しい人柄が伝わってくるこんなエピソードが語られている。

「児童医院で暮らす子どもたちに持参したプレゼントの中身を尋ねられて、答えられないことがありました。スタッフに任せていたのでわからなかったのです。真摯に向き合っていなかった自らを恥じ、後ろめたさに打ちひしがれ、改めて自分でプレゼントを用意してクリスマスに再訪しました」

ただ思うだけではなく、実現させる。映画界で数々の金字塔を打ち立てる原動力となったジャッキーの強い意志と行動力。それはほかの2つの夢に対しても遺憾なく発揮されている。

1988年にはジャッキー・チェン慈善基金を設立。モスクワ武道学校や南アフリカの学校にマットや備品の寄付を行い、アメリカやカンボジアの大学では講演会を実施。近年は中国遠隔地に学校を設立する「龍心基金」の活動を中心に、UNICEF、UNAIDSの親善大使、米国赤十字の有名人理事、中国のジャッキー・チェン民間航空基金の創立者としても活動するほか、チャリティーコンサートや司会も務め、2011年、東日本大震災に見舞われた被災地に多額の寄付を行ったことも記憶に新しい。

ビジネスにおいても、スタントマンを養成するトレーニングセンターをはじめ、Restaurant NOBU北京店の共同経営者でもあり、飲食事業のほかにもシネコンの経営など、多角的に手がけている。

「2017年の年末までにオープンした映画館が100館になります。アパレルやカフェといったビジネスの話も出ていて。いままさにさまざまなチャンスに恵まれているんです」

ひとつの信念を持って取り組む

最後に、米フォーブス誌の「世界で最も稼ぐ男優」ランキングの常連であり、2017年もアジア最高位に輝いているジャッキーに、成功の秘訣を聞いてみた。

「何をするにしても自分の良心に従い、ひとつの信念を持って取り組むこと。そして、多くの人の手助けをすること。私にとっては1本の映画をしっかり撮り切ることが一番重要です。最初からお金もほしい、名誉もほしい、賞も獲りたい、といった姿勢で臨むと、結局、賞は獲れないし、お金も稼げない。ビジネスもきっと同じだと思う。ひとつのことをしっかり、人のためにやっていく。人を騙して手っ取り早くお金を稼ごうとすると、結局最後はゼロになってしまうんです」

そんなジャッキーにとっては、今回の半田との出会いもきっと必然なのだろう。

「半田さんもこれまでさまざまな事業で成功されて、慈善活動を通じて人助けをされている。そういったなかで私と知り合い、私としてもまた新しい友人ができる。そうやって結果的に段々と輪を広げていけることが、とても素晴らしいことだと思うんです」

インタビュー中、通訳の間違いをすかさず指摘し、「ニホンゴ、ワカリマスヨ!」と茶目っ気たっぷりに微笑んだジャッキー。真のスーパースターが見据える未来には、きっと平和な世界が広がっている。


昨年12月にHANDA Watch Worldが主催したジャッキーと半田氏のトークショーの様子。同店は、2018年2月2日にHANDA Watch World・名古屋・バナナ時計店をオープン(愛知県名古屋市中区錦3-5-14 TEL:052-961-8163)。都内で展開しているHANDA Watch World 西荻本店、HANDA Watch World 時計の恋人 キッスは手にして・西荻本店、HANDA Watch World 吉祥寺・宇宙時計店に続く、初の名古屋進出店舗となる。

株式会社ミスズ
tel: 03-3247-5585
https://hww.misuzu.com/

Promoted by ミスズ text by Reiko Watanabe photograph by Jin Tamura edit by Akio Takashiro

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