再会したレンジローバーは、フロントガラスが割れ、無残な姿ではあったが、自分が貼ったポルシェクラブのステッカーは残ったままで、確かに僕のレンジくんだった。
修理してもう一度乗りたいと思った僕は「12万円で落札したとお聞きしましたが、20万円で買い戻させていただけないでしょうか」と男性にお願いしたのだが、「イヤです」と断られてしまった。「小山さんの気持ちはよくわかります。でも僕もガンメタリックの1991年モデルの部品をずっと探していたんです」と。
そこで男性が提案してくれたのが、自分が欲しい部品だけを取って、残りはぜんぶ僕に譲るというもの。なんていい人なんだろうと僕は感激した。だが欲しい部品を尋ねると、すかさず「助手席」という。男性が乗っているレンジローバーは右ハンドル、レンジくんは左ハンドルなので、ヘタレてボロボロになってしまった運転席と交換するために助手席が欲しいのだというのだ。
でも、その助手席は僕が20代のときにいろんな女性を乗せた思い出のシート。むしろそのシートが恋しくて買い戻すところがあるわけで、それはどうしても譲れない(笑)。
というわけで僕は中古のレンジローバーを新たに一台購入、助手席含め欲しい部品を彼に渡し、レンジくんはそっくりそのまま返してもらって修理に出した。その時点でかかった費用は300万円。300万円あれば、十分走る同型の中古車が買えるが、僕は思い出の車にこだわった。
ところがナンバー取得のためにランドローバージャパンの工場に預けると、まだ不備があってこのままでは車検が通らないというではないか。しかも修理費用はあと300万円はかかるらしい(苦笑)。
呆然とした僕はラジオ番組でそれまでのエピソードを話し、リスナーに追加の300万円を出すべきか問うた。「思い出はお金で買えないから出すべきだ」という意見もあれば「直してもまた故障する。重荷になるからやめておいたほうがいい」という意見もあった。迷いに迷った末、僕は修理することに決めた。合計600万円かけて復活したレンジくんは、現在も京都の下鴨茶寮で活躍している。
街の魅力的なストーリーに耳を傾ける
先日、東京駅横の工事現場の片隅で「創業67年 日本一パワースポット」という謎の看板を出した靴磨きの人に靴を磨いてもらった。聞けば「親父の代からやっている」という。
しかし、携帯ラジオから流れてくるのはAFNのような英語放送。「この人はインテリなんだな」と思い、ふと用具箱の上を見やると油絵展のDMが。なんと靴磨きの男性は、赤平健二さんという画家だった。来年(2018年)1月12〜18日には丸善丸の内本店で兄弟展を開催、パリ、カンヌ、ベニス、フィレンツェを旅して描いた新作をお披露目するという。
街にはそんな摩訶不思議で魅力的な話があふれている。それらを、ミュージアムのガイドのように、車に乗りながらにして知ることができたら面白いのではないだろうか。肝は、そっけない情報とはひと味違う、“ストーリー”であること。
たとえば江戸時代の道との比較や、月の満ち欠けと車から見える位置、いま走っている道路や眼の前のビルがどんなコンセプトや想いでつくられたのかを知ると、その街をさらに愉しめるようになると思う。
プラットフォームを立ち上げるのは、例えばカーナビメーカーのクラリオンさん、いかがでしょう? もしくは国交省がガソリン税で賄うのもいいかもしれない。ストーリーの更新は、ウィキペディアのように一般の皆さんで。魅力的な街を自らの手でつくりあげるのも一興ではないかなと思います。
【連載】小山薫堂の妄想浪費
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