目指すべきは「B+」 努力が必ずしも正しくない理由

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私は先日、利用していたある業者の顧客担当責任者から、電話で自分たちのパフォーマンスを評価してほしいと依頼された。一瞬考えた後、B+と答えた。正直なところ少し甘い評価だ。

同社のサービスに感動することもなかったが、その仕事ぶりが心配でたまらないということもなかった。同社は着実に、大半の期待値を満たしてくれた。

会話は他の話題に移ったが、電話の最後に彼女は「今現在、当社はB+とのことですが、この契約が終了するまでにA+になるよう努力します!」と朗らかに言った。

私は電話を切った後、完璧さを追い求めれば良いパフォーマンスが出しづらくなることを、果たして彼女が理解しているかどうか考えた。卓越性を求めて努力するのは一見素晴らしいことに思えるが、常に期待通りの効果を生むわけではなく、必ずしも価値のある目標ではない。

時間とエネルギーは限られているため、ある分野でA+を達成しようと努力すると、他分野のパフォーマンスが必然的に下がってしまう。例えば、企業社会のトップに上り詰めるために汗水流して働いた時間を、趣味や友人と過ごす時間に充てることはできない。

何かの分野でA+の成績を出していれば、他がCでも気にならないという人もいる。しかし、努力家の人は、期待値以下の分野があるのが許せず、どの分野も完璧にこなそうと頑張り続け、最終的に燃え尽きてしまうことがある。

成績や人からの評価は、実は自分が考えているほど重要ではない。成績優秀者になっても、学校以外の場所で必ず成功できるとは限らないからだ。実は、テスト結果よりも人間関係を重視する学生の方が優位に立つことが多い。

また、成績や表彰、ランキング、周囲からの褒め言葉などは全て主観的だ。成績や人からの評価を上げることを目的としてキャリアを進めれば、永遠に誰かの視点に閉じ込められているばかり。自分で設定してもいない基準を達成しようと努力し続け、疲れ果ててしまう。

それに、A+の定義は喜ばせようとする相手によっても違う。例えば、先ほどの顧客担当責任者は、私にとって何がA+に当たるのかを聞かなかった。彼女は現在すでに実践中のことを、単に25%増しで続けることを計画しているのだろう。しかしそれでは、評価はほとんど変わらないはずだ。ただやみくもに努力することは、ばかものの取る戦略だ。

A+の努力をすれば報われるときも確かにある。間もなく開幕する平昌冬季五輪でメダルを目指す選手たちも、おそらくこれに賛成だろう。しかし、全キャリアをかけた試合に挑む五輪選手ではない大半の一般人は、人生のさまざまな責任やニーズ、願望、義務がうまく調和する場所を探しているだけだ。時には失敗することもある。Aの成績もただで手に入るわけではないし、B+で十分だというときもある。

翻訳・編集=出田静

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