資本主義は本当に人の幸せに寄与するのか。理論と現実の両面に目を向ける安田に聞いた。
岩佐:書籍『欲望の資本主義』で、 安田先生は「成長を前提とした資本主義はこれからも成り立つのか」という質問を経済学者たちにぶつけられていました。安田先生ご自身はどう思われていますか。
安田:「これからは資本主義を諦めて低成長をしよう」という論調には、僕は反対です。そもそも資本が資本を生み出すというのが資本主義の本来的な意味ですから、資本主義が続く以上はある程度の成長は自然に起きると思っています。
こうした脱成長論はリーマンショック以降の先進国の成長率が下がっているから出てきました。しかし、近年は日本も含めて成長率は回復傾向にあります。これがあと2年も続けば資本主義終焉論はなくなるのではないでしょうか。
「成長」の主語を明確にしなければいけない
岩佐:日本ではそもそも、成長を前提にすること自体を疑問視する声もあります。
安田:「成長」という言葉の主語を明確にしなければなりません。主語が「一人ひとり」であれば、多様な価値判断が認められるべきなので、成長を前提とした物質的な豊かさから解放されたいという欲望は認められるべきでしょう。
ただ、主語が「国」であれば話は別です。国全体が成長を諦めたら雇用が増えませんよね。僕はミクロのレベルで成長を諦めるのは構わないですが、マクロレベルでの平均的な成長は諦めるべきでないと思っています。この点では、番組(NHK「欲望の資本主義」)の中で資本主義は成長を前提としないと言っていたチェコの経済学者トーマス・セドラチェクとは異なる立場ですね。
岩佐:マクロとミクロを切り分けて考えるべきだということですね。しかし、国民の大半が成長を望まなくなったら、マクロの意思も変わるのではないでしょうか。
安田:本当に全国民が貧しくなってもかまわないと考えれば変わるかもしれませんが、そんなことはまず起こりません。現在、日本国民の約6分の1は所得の中央値の半分以下である「相対的貧困」の状態だと言われています。こうした人たちが来年の収入が今年より少なくてもかまわないと考えるでしょうか。
基本的に脱成長論を唱えるのは、自分の収入が少し下がっても問題ない富裕層です。一方で国がゼロ成長になって真っ先に職を失うのは貧困層。国全体のパイを増やさなければ、貧困層の救済は実現しないでしょう。かつてマルクス主義や社会主義に傾倒したのも、都市部に住むインテリ層でした。表面的には聞こえの良いイデオロギーを実践すると一番割りを食うのが貧困層だとわかったのが、ソ連の社会実験だったのだと思っています。
岩佐:成長を前提とした資本主義は成り立たないという富裕層の無責任な発言によって、貧困から抜け出せない原因が生まれているという一面があるわけですね。
安田:はい。弱者の救済を謳う点では表面的に聞こえが良いので反論しづらいですが、実践されると逆に弱者を追い込んでしまうというケースは少なくありません。そこに欠けているのは一歩先の視点です。
例えば日本の借地借家法では借主側の権利がとても強く、住人がすぐに追い出されることはほとんどありません。立場の弱い借主を守る素晴らしい法律のような気がしますが、この追い出せないリスクを考慮して、貸主は面倒を起こしそうな人に家を貸すことを避けようとする。賃貸物件も、リスクの小さい単身世帯向けばかりになってしまいます。結果として、住むところをそもそも借りることができない弱い借主がこの法律によって生まれている、という皮肉な状況になってしまいました。
だから制度設計は難しいのです。一見、弱い人の立場を守ろうとした法律が、彼らをさらに窮地に陥らせてしまう危険性があります。こうした想定までしたうえで、本当に弱者のためになるのかを考えて制度を設計する必要があったのではないでしょうか。
経済学の理論は、貧困層をどのように救うのか。次回、安田が現代経済学の抱える矛盾にメスを入れる。(第2回に続く)