ビジネス

2018.02.10

グーグルキラーの最終兵器は、アフリカの「驚異的な人材プール」

リセゲンが設立したガーナのアクラにあるメルトウォーター起業スクール(MEST)の建物の間にある橋にて。「才能はあらゆるところにある。しかし、機会はそうではない」。


たった1万5000ドルの起業

しかし、リセゲンは懲りずに事業に邁進する。2001年にメルトウォーターを創業。用意したのは、わずか1万5000ドル(当時の約180万円)の元手と、ノルウェーの首都、オスロの造船所にある手狭なオフィスのみ。本人いわく、当時はもっと面白そうなほかのスタートアップに資金をつぎ込んでおり、メルトウォーターが苦戦した場合、早々に見切るつもりだったという。一方で、リセゲンはメルトウォーターの根底にある考え方には自信を持っていた。

この時、グーグルは創業わずか3年で、グーグルアラートはまだ市場に出ていなかった。リセゲンの目には、世の中は情報の海に溺れそうになっているように見えた。ソフトウェアを使って物事を「シンプルに」する方法を見つけたかった、という。

「メルトウォーターの売りは、インターネット上に公開されたすべてのニュースをモニターしてくれる購読制のサービスでした」と振り返る。「顧客にとって意味のあるニュースが公開されるたびに、通知が届くというものです」。

創業時、リセゲンとメルトウォーターの小さなセールスチームは1500社にプレゼンした。答えは、1499社が「ノー」。1社が「Maybe(たぶん)」。

リセゲンはセールスチームに、「顧客が本当に求めているものが分かるまでは、プレゼン禁止だ」と言い渡した。そのことが徹底的に頭に刷り込まれてはじめて、直接的な売り込みを許可する、と。また、顧客に1年間の購読料の前払いを求めた。外部から資金を調達せずに経営を続けるためだ。この2つの判断は、どちらも功を奏した。メルトウォーターは、03年末には1000社の顧客と契約し、その収益は数百万ドルに達していた。

翌年、同社はスウェーデンに進出。自分の会社ながら、ようやく腰を据えて力を入れ始めたリセゲンは、新規採用者をオスロに連れ帰り、3カ月の研修を受けさせてからストックホルムに戻し、新しいオフィスを開設させた。同オフィスは2カ月でキャッシュ・フローを黒字化させている。リセゲンは北欧でメルトウォーターを拡大するたびにこのプロセスを繰り返し、年商は05年末に1100万ドルに達していた。

狂ったような面接活動へ

メルトウォーターが拡大を続けるなか、リセゲンは独自の余念のない、徹底的な、そして本当に骨の折れる採用活動を展開した。例の3000人との、狂気ともいえる面接活動だ。

人事チームと共に、トップ大学を卒業し、経営陣になれる将来性のある─のみならず、知性、意欲、ウィットに富んだ応募者だけを採用するように心がけた。世界にはウェブ2.0の波が訪れ、メディア情報分析分野にグーグルアラートとヤフーニュースという巨大なライバルが台頭していた。

リセゲンは、こうした新しい競合を、自分のサービスのエントリーモデル版(初心者向けのバージョン)と位置づけ、かつてはひどかったメルトウォーターのプログラムとインターフェイスを改良していった。
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文=ザック・オマリー・グリーンバーグ 翻訳=木村理恵 写真=ナナ・コフィ・アクア

この記事は 「Forbes JAPAN 次代の経済圏を作る革命児」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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