寺院大廃業時代、生き残りをかけた次世代リーダーの挑戦

松山大耕/1978年、京都市生まれ。2003年、東京大学大学院農学生命科学研究科修了。政府観光庁Visit Japan大使、京都観光おもてなし大使などを務め、日本文化の発信に貢献している。


多くの情報から抽出された方法論をフォーマット化し、ベストプラクティスとして展開する──こうした欧米型の戦略論は、1990年代以降、日本でも普及した。だが、その考え方は既に時代遅れになりつつある。

いまや世界中でその考え方が浸透したことで他との差別化が難しくなっているのだ。「だからこそ、 実践を重んじる禅の思想は、世界のエグゼクティブの人たちに刺さる」と松山は言う。

「『冷暖自知(れいだんじち)』という言葉があります。同じ15度でも、気温、水温、机の温度など、実際にはそれぞれの感じ方に違いがあります。情報を字面で盲信するのではなく、まず実践・体験することを禅では大切にしています」

ビジネスの世界でも「冷暖自知」の教えは通じるのではないか。大事にすべきは「自らまずやってみよう。そして、その物事に通じよう」とする謙虚さなのではないか。松山はそう問いかける。

企業の研修の場だけでなく、会議や商談の席として使いたいなどと、寺の活用シーンは広がっている。最近、外国人同士が結婚式を挙げたいという要望もあった。こうした新たな声をどう取り込むかが、寺の未来に繋がると松山は考えている。

以前、ニューヨーク・タイムズが主催する旅行博覧会に、日本の観光をPRするために訪れたときのことだ。松山が京都の寺の歴史について話をすると、あるアメリカ人の男性が「What’s new?」と切り返してきた。

「彼らは京都が日本の文化の中心であることは知っています。素晴らしい歴史があることも知っている。求めているのは、新しい動きなんです。私たちは長い伝統の上であぐらをかいていてはいけない」

伝統に新たなエネルギーを注ぐ

清水寺の執事補・大西英玄も、松山と同様、「新しい動き」を取り込もうとしているひとりだ。

10月の夜、清水寺を訪れた人なら誰もが、艶やかなピンクのライトアップに驚く。乳がん啓発のキャンペーンとして13年から始めたこの取り組みは、化粧品会社のエスティローダーからの要望がきっかけだった。始めた理由を問うと、大西は「ただ、私たちは為すべきことを為しているだけです」と淡々と返してきた。


大西英玄/1978年、京都府生まれ。2001年、関西大学社会学部卒業。ボストンやサンフランシスコへの留学、高野山恵光院での加行(けぎょう)を経て、04年に清水寺入寺。13年、執事補就任。

「依頼主のみなさまは、なるべく我々側の負担がないようにと配慮してくださることが多い。私はまず、やりたいことをすべて出してもらい、実現を目指して一つ一つ取り組みましょうと話します。できない理由ではなく、できる理由を一緒に考えていきたい」

祖父は、清水寺中興の祖、故・貫主大西良慶和上。自身の使命は「清水寺の伝統、そして仏教の教えを未来に引き継いでいくこと」と幼い頃から考えていた大西は、関西大学を卒業後、アメリカ留学を経て、04年に清水寺へ帰山した。清水寺は、日本でも有数の知名度を誇る寺院である。その知名度を享受できるのも、過去の歴史と伝統があるからこそ。大西はそう捉えている。

「ただし、清水寺の伝統は、過去行っていたことをただただ守り続けてきた歴史ではありません。その時々で新しいエネルギーを取り込んでいったからこそ、今があります」

新たな取り組みに、必ずしもみなが賛同するわけではない。伝統を破壊する行為ではないのか。成果は出るのか。そもそもやる意味はどこにあるのか。大西は反対の声に対し、こう説得している。

「当代である我々が、昔からのものを守るだけでは次世代に清水寺を残せない。常に意識すべきは未来。10年、20年という長期的視座に立ち、為すべきことを為していこうと考えています」

近年、ビジネスの世界でも長期的視座に立った経営の重要性が指摘されている。「大企業を先取りしていますね」と問いかけると、大西は「寺院に決算期はありませんから」と笑った。


フォロワーが16万人を超える清水寺のインスタグラムも、大西が仕掛けたもの。様々な角度から清水寺を切り取り、写真で発信することで、目には見えない厳かさや神秘性を発信する。

ふたりの取材はそれぞれの寺で別々に行った。取材の最後にこれからの目標は何かと尋ねてみたところ、奇しくも同じような答えが返ってきた。

まずは大西。「これからも、誠を尽くしたい。清水寺に来て、12年。あのときこうしていれば良かったという後悔はありません。望外なご縁に恵まれ、誠を尽くすことで導かれてきました 」

続いて 松山。「夢も目標もありません。目の前のご縁を大切に、全身全霊で取り組むだけです」

一呼吸おいて、松山はこう続けた。

「目標を設定するとせいぜいそこまでしかいけない。想像もしていなかったようなところまでは、たどり着けませんから」

文・写真=小田駿一

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