酸味・苦味・うま味は、人間が土地に根付いて暮らしていく中で見つけた旬の食材、発酵食品、乾燥食品、調味料などの保存食の中に多く含まれています。
この三味の構成をベースにすれば、塩味や甘味に頼らなくても、人は美味しいと感じるものです。それに、はしりの野菜や山菜を口にしたときに感じるあのほろ苦さ……。旬の素材は、季節の到来を告げ、土地を感させてくれ、心も豊かにしてくれます。
ところで、舌の上で感じる味覚と、人が脳と身体で感じる感覚は違います。僕は、塩味、甘味、油脂を「アッパー系の味」、うま味、苦味、酸味を「ダウナー系の味」と呼んでいますが、これは、前者は脳が感知して美味しいと思える味、後者は心や身体がホッとすると感じる味という違いです。
例えば、時短で作られたファストフードは、身体を癒すというよりも、煩悩を満たして脳が気持ちよくなるようなアッパー系の味付けのものが多い。海外でヘルシーと言われたりもするお寿司も、シャリの中には砂糖と塩が結構入っており、こちらの部類です。ではダウナー系の味はというと、出汁の効いたお味噌汁のように食べてホッとするものです。
塩漬け、砂糖漬け、脂漬けというアッパー系に侵された食生活からの解放には、時間をかけた調理から引き出される素材(自然)の味に出会うこと、そして、発酵食品などのうま味成分をベースにした料理を食べることにヒントがあります。
バーニャ・カウダの誕生秘話
僕が拠点とするニースは、155年前までサヴォワサルディーニャ王国に帰属していました。その際、サヴォワにとって唯一の港町がニースで、海と交易の中心として栄えていました。
ニースで塩を購入しては、サヴォワ公国の首都トリノまで運ぶ。そのルートは「route de sel:塩の道」と呼ばれているのですが、その道中では山賊の強奪に遭うこともしばしば。そのため、貴重な塩をアンチョビ(小さなイワシ)に隠して運んでいたと言います。だからピエモンテは、山岳地帯でありながらアンチョビを使ったレシピが残っているのです。
その中でも有名なのが、ピエモンテを代表する冬の野菜料理、バーニャ・カウダです。バーニャ・カウダ(bagna cauda)とは、この土地の方言で“温かいソース”という意味。アンチョビ独特の発酵と熟成によって生まれるうま味成分をベースにしていて、寒いピエモンテの冬に、心までホッとさせてくれる料理です。
塩の歴史があったおかげで、日本でも野菜のディップソースとして流行っているこの料理が誕生した。こうしたルーツやオリジンを知ると、食事を通じて、栄養だけではなく、教養も身につきます。
塩漬けの社会からの解放。それは、うま味成分の含まれた自然の恵をいただく、当たり前の豊かさにこそ答えがあるのではないでしょうか。
ニース在住のシェフ松嶋啓介の「喰い改めよ!!」
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