ビジネス

2018.02.03

モノづくりも買い物も「自分が欲しい」という気持ちが大切だ

吉田玲雄(左)、吉田克幸(中央)、大西洋(右)




大西:
吉田さんがロン毛のヒッピー!

克幸:はい、当時はそんな格好をしていました。そこですごく不思議だったのが、おじいちゃんがパイプをふかしながらものをつくっている。その脇で12〜13歳くらいの少年が手伝いながら、手縫いの皮革にロウを塗ったりしていた。手術をする執刀医と助手みたいな感じだったのです。

さりげなくおじいちゃんに訊くと、「オレが死ぬ頃に彼らが一人前になるからちょうどいいんだ」と言うのです。間に人が入ってしまうと、その技術や精神などが保たれないというのですね。すごいこと言うなと思って。

大西:50年ぐらい、長く続けさせるためにそういうことをするのですね。

克幸:そういえば、オヤジが小さい頃、千駄木の団子坂のほうの路地裏で割烹着を着たおばちゃんたちが10人ぐらいでランドセルを手縫いでつくっていた。それを見て、オヤジも手縫いを覚えた。それとまったく同じじゃないかと。そういう話を聞けただけでも、財産だなと思って。

大西:玲雄さんは「天才」と言われていましたが、克幸さんはモノを見る目とか、視点が違うのですね、世の中とは。クリエイションというのはそういうところから生まれますよね。皆が見ているところとは違うところを見るとか、同じものを見ても違う角度から見るとか。

克幸:恥ずかしい話ですが、豆腐屋のラッパとか、昔から変なものに興味を惹かれるのです。

大西:小さい頃に影響を受けたものは何ですか。

克幸:映画はよく観ていましたね、小学生の頃から。浅草の近くの鳥越というところに、「鳥越ロマンス座」という映画館があった。家は東神田にあったのですが、その前に駄菓子屋があり、そこに「鳥越ロマンス座」のポスターが貼ってあった。駄菓子屋のおばさんが、チケットをくれるのです。学校なんか大嫌いだったから、それを持って一日中映画館で過ごしていました。おふくろからは20円もらい、15円でスルメを買って、ゆっくりと食べながら、ずっと映画を観ていた。

大西:ずいぶんマセた小学生でしたね。

克幸:アーネスト・ボーグナインやカーク・ダグラスが出演していた「バイキング」だとかを観て、俳優だけでなく、登場するモノに対しても「ああ、カッコいいな」と注目していました。ほとんど洋画ばかりでしたね。

大西:とくに昔の映画って、ものすごい影響を受けますよね。ファッションについては、われわれも映画から影響を受けました。

克幸:その頃、オヤジからはこんなことも言われていましたね。「駅に行ってごらん。電車の中を見渡してごらん。飛行場に行ってごらん。タダでたくさんの鞄が見られるぞ」なんて、独自の名言を吐いていました。なので、いまでも旅は好きです。やっぱり鞄屋なのですね。

デニムって、ずっと廃れない

大西:若い頃、海外を渡り歩いて「修業」されてきた吉田さんが、新しく創業された「ポータークラシック」では、「メイド・イン・ジャパン」を掲げておられる、これは伝統への回帰と考えてもいいのでしょうか。

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克幸:
デニムって、ずっと廃れないじゃないですか。何にでも合う。偏屈なヤツが、デニムにカシミヤのジャケットだとか合わせて、着こなしなんかもだんだん幅を広げてきた。そういうことってすごく大事で、これからは、デニムに負けない昔からのメイド・イン・ジャパンの生地のすごさをもう1回見つめ直していきたいと考えています。

大西:日本再発見ですね。

克幸:昔はいい織物などは、殿様や豪商がパトロンになって、その文化を支えていた。それが、彼らがいなくなったら、文化もどんどん衰退してしまった。そんな伝統の技術をもう1回、「和」じゃなくて、「新日本」とか「ニュー日本」で、新しい息吹を吹き込んでもう1回できたらと思っています。それが「ポータークラシック」が、そしてぼくがライフワークとしてやっていることなのです。

2020年に東京でオリンピックが開かれますが、どうかこういうときに、真剣にわれわれがやっている「刺し子」だとか、日本で伝承されてきたものを継承するようなユニフォームを日本の選手たちのためにつくってもらいたいと思いますね。

大西:ほんとうにその通りですね。
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編集=稲垣伸寿 松下久美 写真=細倉真弓

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