それは、その映画を作った監督や製作者が、映画の全編のシーンを流しながら、それぞれのシーンの意図や俳優の演技、製作の裏話などを自由に語る音声を収録したものである。
この監督や製作者の音声解説は、映画関係者や映画ファンにとって興味深いだけでなく、映像や音楽、造形や意匠、文章や言葉など、分野を問わず、創造的な作品づくりに取り組むプロフェッショナルにとっては、極めて学びの多いものである。
例えば、SF映画の名作『ソラリス』の音声解説には、監督のスティーブン・ソダーバーグと製作者のジェームズ・キャメロンが、全シーンを流しながら自由に語り合っている会話が収録されているが、興味深いことに、その中に、ソダーバーグの「完璧主義者」としての姿を象徴する会話がある。
それは、二人の登場人物の対話のシーンであるが、その人物の顔を照らす何気ない光の動きについて、ソダーバーグが、嘆きを抑えるように呟いた。
「光の動きが速い。見るたびに後悔する。他のシーンと比べてテンポが合っていないから、頭に来る」
ソダーバーグのこうした細部にこだわる姿勢は、たしかに、彼が「完璧主義者」と呼ばれる理由でもあるが、このような姿勢を示すのは、決して彼だけではない。この音声解説では、ソダーバーグ監督の嘆きに同情しながらも、その気持ちをなだめる立場の製作者キャメロン。しかし、彼自身、徹底的に細部にこだわる「完璧主義者」である。
彼が監督として製作した映画『タイタニック』は、1997年度のアカデミー賞11部門を獲得した名作であるが、その製作において、彼は、俳優への細やかな演技指導から、舞台セットの配置、小道具の製作に至るまで、時間と労力を惜しむことなく自分自身で指示を出し、納得のいく作品を創ろうとした。
実は、分野を問わず、一流のプロフェッショナルには、仕事や作品の細部を決して疎かにせず、完璧を期する人物が多い。
では、なぜ、彼らは、仕事や作品の細部にこだわるのか。それは、昔から、一つの格言が語られるからであろう。
「神は、細部に宿る」
たしかに、この格言通り、作品の生命力は、つい見落としてしまうような細部にこそ宿っている。しかし、我々は、こうした「完璧主義者」と評されるプロフェッショナルを見ると、しばしば、その才能の本質を誤解してしまう。
作品の細部に、徹底的にこだわることのできる集中力。それが彼らの才能であると思ってしまう。しかし、実は、そうではない。
もし、「完璧主義者」と評されるプロフェッショナルが、本当に、すべての細部にこだわって仕事をしているならば、その人物は、必ず、健康を害してしまうか、精神に異常を生じてしまうだろう。
その当然のことを理解するとき、我々は、「完璧主義者」と評されるプロフェッショナルが、もう一つの優れた才能を持っていることに気がつく。
こだわるべき細部とこだわらなくともよい細部を、見分ける力。それこそが、彼らの隠れた才能なのであろう。
しかし、もとより、それは、何かの分析力や論理思考などの力ではない。それは、直観力や皮膚感覚と呼ばれる力。では、その直観力や皮膚感覚は、どこから生まれてくるのか。
それはやはり、創作者に、究極、問われるもの。「作品への深い愛着」であろう。
田坂広志の連載「深き思索、静かな気づき」
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