2度の失敗、社員の解雇 スラックCTOが語る困難の乗り越え方

カル・ヘンダーソン スラック共同創業者兼CTO

すっかり気温が下がった11月下旬、彼は半袖短パン姿で現れた。「寒くないの?」と聞くと、「全然寒くないよ」と笑顔を見せる。シリコンバレーから来日した彼の名は、カル・ヘンダーソン。いまや社内チャットツールとして、日本でも多くの人に利用されているSlack(スラック)の共同創業者兼CTOである。

彼は元々、ゲーム開発者としての活躍を夢見ていた。しかしその道は険しく、結果的にゲームではない、2つの大ヒットサービスを“生み出してしまった”のだ。そのうちの1つが写真共有サービスのFlickr(フリッカー)、もう1つがスラックである。

「今はスラックが大好きだが、当時は複雑な気持ちだった」とカルは語る。カルは2度の方向転換を経て今に至る過程の中で、何を考え、行動してきたのか。



──スラックの共同創業者兼CEO、スチュワート・バターフィールド氏との出会いはハッキングがきっかけだとお聞きしました。

そうです。2001年頃、私は『Neverending』というゲームの大ファンでした。私は元々プログラマーで、このゲームを見たときに、「これこそ私が本当にやりたかったことだ」と感じ、調べたところそのゲームを作っていたのが、スチュワートの会社だったのです。本当に彼と一緒に働きたいと思ったので、私はハッキングをして彼の会社のメーリングリストに侵入し、「私と一緒に働くべきだ」と彼を説得しました。さすがに説得は難航しましたね。

──しかし、その後無事説得は成功し、一緒に働くことになります。まず生み出したのが、フリッカーでしたね。

当時はゲームを作っていましたが、景気の問題もあって、会社にはあまりお金がなかった。だから、もう一度会社を立て直すためのスモールビジネスを作りました。それがフリッカーです。それまでの写真撮影はフィルムが主流で、撮影した写真を現像してアルバムにしたり、家族に送ったりしていました。

それが2003〜04年になると、携帯電話にカメラが搭載され始めました。多くの人がデジタル写真を気軽に撮れるようになったのです。そのタイミングの良さも重なってフリッカーはすぐに軌道に乗り、ゲームにつぎ込むための十分な資金も集まり始めていました。でもフリッカーが大きなビジネスになることは明らかだったので、そこに時間を割くべきだ、私たちはそう判断し、一旦ゲーム開発を止めてフリッカーに専念することになりました。

当時はすごく悲しかったです。写真が特別好きなわけではなかったし、本当は大好きなゲームを作りたかった。仕事をしていても、ずっと心の隅にはゲームがありました。だから2005年にフリッカーをヤフーに売却し、2009年に今のスラックになった会社を作り、ゲーム開発に再挑戦しました。
次ページ > 「社員の解雇」を乗り越えて生まれたスラック

文=フォーブス ジャパン編集部 写真=吉村永

タグ:

ForbesBrandVoice

人気記事