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2017.12.13 17:00

天才を育てる環境とは? 映画「gifted/ギフテッド」が問う未来


世の中を変えてきた天才たちは、もちろんその後の努力の成果もあるだろうが、生まれながらにしてその能力を有した「ギフテッド」である場合が多い。遺伝子情報のなかでのどんな組み合わせが卓越した才能を生むのかは不分明であるが、何らかの変異がそこに生じたと考えても妥当なのではないだろうか。SF的に言えば、そこに「進化」が生まれているのでは。

しかし、不幸にもその「ギフテッド」が見出されずに、または才能を伸ばせずに終わってしまうケースもあるのではないかという考えが(妄想に近いかもしれない)頭を離れない。

ハリウッド的価値観で言えば、天才たりとも普通の市民生活を送るのが真っ当ということになるのだろうが、果たしてその環境で「ギフテッド」は無事に育まれるのだろうか。機会に恵まれず、「只の人」に終わってしまう「ギフテッド」も多々存在するのではないだろうか。

映画「gifted/ギフテッド」は実によくできた作品である。監督のマーク・ウェブのテンポ良い場面転換で、隅々まで練りこまれた脚本が、1時間41分の上映時間のなかに小気味よくまとめられている(ちなみに1時間40分がラスベガスのショーなどのスタンダードな長さで、人間が着席して観賞しうるベストな時間だという説もある)。だから、この天才少女をめぐる物語も、エンドマークまでかなり面白く観賞できる。観客の満足度は高いし、劇場でも意外なヒットを飛ばしているとも聞く。

ただ、エンタテインメントの文脈のなかに塗り込められている「天才」と「環境」の問題については、無難な結論に逃げ込んだのではないかという印象も抱いた。映画はただ楽しめばいいという意見もある。一方で、そこから人生や世界や未来について考える指標を受け取ってもいいのではないかとも考えている。

「天才」は希少であるがゆえに天才だという言説もある。「キブテッド」として生まれた人たちすべてが、環境に左右されることなく、順調に天才の道を歩んだら、世界はどのように変わるだろうか。どんな未来がそこに待っているのだろうか。

そんなことを思いながら、再観賞したいがために劇場に足を運んだ。マーク・ウェブ監督には、ぜひメアリーの10年後、20年後を描いた作品をつくって欲しい。メアリーが「20歳過ぎれば只の人」になっていないことを祈りながら、そう思うのだ。

文=稲垣伸寿

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