正念場の学び[田坂広志の深き思索、静かな気づき]

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1979年のプロ野球日本シリーズは、セ・リーグの広島とパ・リーグの近鉄との対決であったが、伝説的な「江夏の21球」のエピソードで知られる、壮絶な戦いとなった。

それは、3勝3敗で迎えた第7戦。勝利したチームが日本一の栄冠に輝く試合、1点差を追う近鉄が、9回裏ノーアウト満塁と広島のリリーフエース江夏豊投手を攻め立て、一打逆転サヨナラ優勝という場面。近鉄が圧倒的に有利な状況であった。

近鉄はヒッティングか、スクイズか、全国の野球ファンがテレビの前で固唾を飲んで見守っていた瞬間、近鉄を率いる西本幸雄監督の決断が、すべてを決するという場面であった。

このとき、西本監督は、傍にいたコーチに、こう呟いた。

「おい、この正念場、しっかり目を開いて、よう見ておけ!」

しかし、この直後、西本監督がヒッティングを命じた佐々木選手は、惜しいファウルの後、三振に打ち取られた。そして、次に敢行したスクイズは、ピッチャー江夏の天才的な直観によって見抜かれ、失敗に終わった。近鉄は、西本監督の渾身の決断にもかかわらず、十中八九手にしていた日本一を失ったのである。

これが球史に残る「江夏の21球」のエピソードであるが、この試合終了の瞬間、西本監督は、黙して傍にいたコーチに呟いた。

「ああ、わしは、この悔しさ、棺桶に入っても忘れんぞ!」

たしかに、西本監督の全身全霊を込めた決断にもかかわらず、スクイズは失敗に終わった。そして、どれほど言葉を重ねても、敗北は、敗北である。しかし、試合に敗れはしたが、この世紀の大勝負の体験を通じて、近鉄のコーチと選手たちは、極めて大きな学びの機会を得た。

なぜなら、「敗北した軍隊は、良く学ぶ」という言葉どおり、それまで弱小球団であった近鉄が、この後、パ・リーグで何年にもわたり優勝を争うチームになっていったからである。

そして、決定的な場面で空振りの三振に終わった佐々木選手をはじめ、多くの選手が、この痛恨の敗北から大切なことを学び、その後、名選手として活躍していった。
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文=田坂広志

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