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里山に住む「ミニマリスト」のDIY的暮らし方

トレーラーハウスの外観。写真奥のリビング部分が増築されている。

田舎の人は、私の知る限りではたいてい、DIYに必要な道具はそこそこ揃えている。いや、持っていなくてもいい。持っている人を知っている。そして必要があれば、お願いできる関係性がある。

前回の記事では、「田舎はモノが回ってくる」現象には、あげる側の「もったいない」ともらう側の「もったいない」の精神があることを説明したが、それに加えて、DIYのリテラシーの高さがあると思う。

「回ってくる」モノは、すぐに使える完全な状態ではないことが多い。キレイにしたり、修理をしたりといった手を加えることができなければ、そのリテラシーが少しもなければ、モノは回ってこないと言っても言い過ぎではない。

ところで私は、賃貸のトレーラーハウスに暮らしている。一般住宅と同じようにキッチンはもちろん、お風呂やトイレといった暮らしに必要な水まわりの設備を備えていて、リビング部分は増築されている。

このちょっと風変わりなトレーラーハウスは、借りるときに大家さんから「好きにしていいぞ」と言われていた。内装も外装も、DIYで自分好みに改造していいぞ、ということだ。ご近所さんからも、「あの家は好きにしていいからな」と期待をされるほどだ。


トレーラーハウスの壁紙が好みではなかったので、剥がして木材を敷き詰め、本棚をつくっているところ。

DIYというのは、何かをつくっているように見えて、それ以上に、自分はどんな暮らしがしたいのかを浮き彫りにする。思い描いて手を動かしてみると、市販のモノやサービスを購入するのとは別の次元で、自分の好きなことや好きなものが見えてくる。

たとえば棚をつくるにしても、木の質感や厚み、奥行きや色など、自分が思い描いている具体的なことは、作業してみないとわからないのだ。

そして、自分の手で自分好みの空間を完成させたことに、味わったことのないような達成感を感じる。この達成感は、大げさかもしれないが、生きているという実感とも言い換えることができると思う。

つまり、DIYのリテラシーとはそのまま、生きることのリテラシーなのではないだろうか。

自分の手でつくらなくても、ありとあらゆる商品やサービスが用意されていて、それで暮らしをまかなえる社会に私たちは生きている。

その便利さと引き換えに失ってしまっているのが、たとえば手を動かして自分でつくる、生きることのリテラシーだと思う。こうした生きることのリテラシーは、暮らしに必要なスキルとして、日々必要なことが身についていくのだと思う。毎日の料理と同じこととしてDIYがある。私は、そんな世界観を持ちたいと考えている。

文=増村江利子

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