ビジネス

2017.12.22 08:30

自動運転の「目」を作るエンジニア社長

デビッド・ホール(photograph by Timothy Archibald)


昨年、百度とフォードから1億5000万ドルの出資を受けたあと、ベロダインは生産設備を急速に増強している。同社が外部の資金を受け入れたのは、ホールが両親や祖父らから創業資金の20万ドルを調達して以来、初めてのことだった。
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ベロダインは出資を受けた際の企業評価額を明かさないが、現在の売上から本誌が推定した市場価値は約20億ドルに達する。その50%以上を握っているとされるホールは、推定10億ドル以上の資産家というわけだ。ジェレンはおそらく18〜19年頃にIPOを実施することになるだろうと話す。

ホールはしかし、すでにもっと大きなことを考えている。彼の望みは年間数千個というセンサーの生産能力を、来年までに最低100万個まで高めることだ。そのために彼はサンノゼの新工場を巨大なロボットそのものに変えることに忙しい。完全に自動化された巨大工場で生産速度を上げる一方、複雑なライダー機器の製造コストを競合他社が太刀打ちできないレベルまで下げようというのだ。

テスラの創業者のイーロン・マスクは、彼の名高いギガファクトリーを「マシンを作るマシン」と表現した。ベロダインの新工場はその小型版だと考えればいいだろう。テスラの自動工場は早くても19~20年まで稼働しないが、ホールは来年までに完全無人化を実現させたがっている。成功すれば、ベロダインは2つの地殻変動的な技術革新の先頭を走ることになるはずだ。その2つとは「自らを走行させる車」と、「技術者とプログラマーだけがいれば、人間の組立工を必要としない工場」である。
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「目指すのはこれだ」と、ホールは言う。「照明を付けずに工場を操業できるか? それができるなら、実際に米国内でこの製品を生産できる」

ホールは技術界の大物への道を歩みつつあるのかもしれないが、依然として純粋なエンジニアだ。ラボで機械いじりをしている時が最も落ち着くし、たいていは色あせた青いオックスフォードシャツとチノパン、運動靴といういでたちをしている。話が個人的なことに及ぶとしばしば素っ気ない答えを返すが、1970年代にボストンに構えた機械工場のことを話す時などは、その目が輝いた。ホールはそこでレイセオン社やハーバード大学医学大学院などの顧客のために、特製の部品を製造していたのだ。

ホールはコネチカット州で育った。父親は原子力発電所を建造するエンジニア、祖父は30年代にカラー写真を作る技術を開発した物理学者だった。10代の頃、ホールは祖父の手を借り、自分の作業場を立ち上げる。彼はそこでモーター付きの自転車や、「ものすごくうるさい」ギターアンプなどを自作した。

騒然とした70年代前半に、彼はクリーブランドのケースウェスタンリザーブ大学で機械工学を学んだ。卒業後はボストンに機械工場を開き、様々な企業向けに部品を製作した。その仕事は興味深く、創造性も発揮できたが、人に知られることのない点は不満だった。そこで彼は消費財に軸足を移そうと決意する。

「将来、道を歩きながら自分のブランド名を叫んだ時に、たまには私のことを聞き知った人が見つかるだろう」と、彼は考えたのだそうだ。

80年代前半、ホールは当時ブームになっていたオーディオのビジネスに参入する計画を抱えて、サンフランシスコ地域に移った。「ステレオ店に入ると、人々が常に何か新しいものを探していたよ」と、彼は言う。

ホールは家族から資金を集め、高品質なサブウーファーの製造を始めた。音のひずみを減らす特別なデザイン(特許取得)がなされたものだった。サイクリングが大好きだった彼は、その会社をベロダインと名付けた(ベロはフランス語で自転車のこと)。

1台2000~5000ドルするそのスピーカーは大人気を呼んだ。「私のスピーカーはこれまでにないほど大きくて深みのある音が出せたんだ。それでいて今にも分解しそうな響きはなかった」

ホールは兄弟のブルースをセールス担当として入社させた。事業は拡大し、地元のプロスポーツ選手や俳優の故ロビン・ウィリアムズが顧客になった。だがオーディオ業界の競争、とりわけ価格面でのそれが次第に熾烈になっていく。90年代後半を迎えるころには、ホールはまた別の新しいものを探していた。

ホールは気晴らしのために、ケーブルテレビ局の番組「ロボット・ウォーズ」に出すための戦闘ロボットを作り始めた。そのうちの一体は2001年の世界選手権で2位に入った。だが彼の才能をより真剣に試す場となったのは、まずカリフォルニアの砂漠で、そして後には都市部で開催された自動運転車のレース「DARPAチャレンジ」だった。

02年を皮切りに、ホールはカメラやレーザーなど様々な技術の実験を行い、04年と05年のレースに参戦した。カメラの限界に気づくと、ホールと他の参加者たちは測量などに使われるライダーに目を向けた。個別の画像を継ぎ合わせて詳細な地図を作りだすための技術だ。
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文=アラン・オーンスマン 翻訳=町田敦夫

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