学ぶことの多くはサプライズから
映画好きだった盛田さんに関する思い出は実に多い。私は有り難いことに一緒に映画を観る機会が多くあった。そしてその視点にはいつも驚かされた。
せっかくなので一緒に観たいくつかの作品をあげてみたい。まず、マイケル・ムーア初監督のドキュメンタリー「ロジャー&ミー」(1989)。GMの合理化政策によってデトロイトが荒廃していく様が描かれているこの映画は、盛田さんが社内で何度も鑑賞会を開き、社員に観せていた。会社は時代に合わせ変革していかなければという教訓を学ばせようとしたのだと思う。
そして「プリティ・ウーマン」(1990)。華やかな部分に目がいきがちだが、主人公のエドワードが“ウォール街の狼”と呼ばれる背景には、1980年代のL.A.がベンチャーキャピタルの始まりの時期だということを盛田さんは教えてくれた。私はこの映画からベンチャーキャピタルやプライベートエクイティなどアメリカの投資ファンドや金融事業に興味を持った。
私が覚えている範囲で、映画を観て泣いている盛田さんを見たのは「レインマン」(1990)だった。何度も観て泣いていた。お金では買えないかけがえのない家族の愛、盛田さんの心のあたたかさを感じた。一緒に映画を観られたことで、私は背景にある社会や人など様々なことを知ることができた。
会社の未来に必要なことは変えていく
文化の異なる映画の街L.A.で会社再建する経営から、私はコーポレート・ガバナンス(企業統治)について身をもって考え直した。ヨーロッパ企業の取締役会を学ぶためにスイスのネスレ、アメリカのコーポレート・ガバナンスを学ぶためにGMの役員に就いた私は、グローバル企業における経営統治の重要性を確信した。ソニーがグローバルな企業なら、会社経営もグローバル流にしなければならないと思った。
そして、1997年にソニーは、外部の人とCEOからなる取締役会、そして内部の役員からなる執行役会をつくり、分離させた。取締役会が監督・経営を行い、執行役会が事業を執行する、これは革命的なことだった。しばらくしてから追従して日本の商法も変わり、今や多くの企業がグローバル流のコーポレート・ガバナンスを学び、取締役という役職を採用するようになった。
今まさにこう行ったことに直面している中国の企業、バイドゥ、レノボ、BOEなどから独立社外取締役や変革アドバイザーへの依頼がくるのは、これまでソニーが乗り越えてきたことを中国が見てきたからだと思う。文化の違いをどう乗り越え、グローバル化していくかが彼らの最大の課題だ。
ソニーが行ってきた経営のグローバリゼーションと立体化は高く評価されている。テクノロジーの進化から起こるパラダイムシフトに世界が直面する中、経営の立体化に新たなビジネスモデル創出のヒントがあるのかもれない。そして、ソニーがその経営を進化させることができたのは、井深さんと盛田さんの思いがあったからだ。特にハリウッドでの映画事業では、映画好きな盛田さんの純粋な思いがあったから、多くのひとたちがソニーを応援してくれたと思う。