映画の世界から学んだ、経営のグローバル化と立体化|出井伸之

クオンタムリープ代表取締役 出井伸之氏

人生は岐路の連続。最良の選択でチャンスを呼び込むためには、自身と深く対話し、自分の中にある幸せの価値観を知ることが重要である。この連載は、岐路に立つ人々に出井伸之が送る人生のナビゲーション。アルファベット順にキーワードを掲げ、出井流のHow toを伝授する。

今回は、H=Hollywood (ハリウッド)について(以下、出井伸之氏談)。


今回はハリウッド・ロサンゼルスについて語りたい。私にとって二つの大きな出来事があった街だ。

一つは、ソニーが行ったコロンビア・ピクチャーズの買収劇、その後の数年間にわたる経営の乱れだ。ハリウッドという特殊なコミュニティ、文化の違い、アメリカのクリエイティブな会社を買収した日本のエレクトロニクス企業、絶対にうまくいくわけがないと当初は叩かれた。ちょうどそのころ発売されたNewsweekの表紙では、自由の女神が着物をまとい「Japan Invades Hollywood(日本、ハリウッド侵略)」というタイトルになったほどだ。
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しかし、ハリウッドの文化に精通し、映画業界で信頼あるマネージメントチームに刷新することによってソニーは何とか乗り越えることができた。この映画事業はソニー・ピクチャーズ エンタテインメントとして今も存在している。(買収劇について詳しくは「ヒット&ラン 〜ソニーにNOと言わせなかった男達〜」(エフツウ)を読んでいただきたい)

もう一つは、アル・ゴア副大統領(当時)による「情報スーパーハイウエイ構想」のスピーチを聞き、雷に打たれたようなものすごい衝撃を受けたことだ。私はこのスピーチを聴く数名に選出され、L.A.に行った。とにかく想像以上のものだった。インターネットやITによってビジネスモデルが大きく変わることを確信した私は、すぐにレポートにまとめソニーのトップに提出した。インターネットという隕石は、強大な力でテクノロジーを一気に加速させた。このスピーチを聞いたのは、今からたった25年前のことだ。

ブランドパワー誕生の背景

ソニーは、いわゆるコングロマリットと言われれる多角化した会社でなく、エレクトロニクスを中心としたグローバリゼーションに加えて異業種を買収し、会社を立体化させていった。

まず1979年ソニー・プルデンシャル生命保険会社(現:ソニー生命保険)を設立、さらにコンテンツ事業として、エンタテインメント分野で音楽事業のCBSレコード(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント)を買収、そして映画事業のコロンビアピクチャーズを買収した。ソニーは、エレクトロニクス・金融・音楽・映画と会社を立体化していくことで新しいビジネスモデルを確立し、他にはないユニークな企業へと成長していった。

企業のブランドとしても深みを増したソニーは、とてつもないパワーを持って世界中から多種多様な人材を引き寄せていった。クリエイター、デザイナー、プロデューサーなど、ギークな人々が集まり、独自のカルチャーを創りあげていった。コンテンツの重要性を理解し、多くの人を惹きつけていく。この一連の流れがソニーブランドを確固たるものにしていったのだ。

ソニー創業者の井深大さんと盛田昭夫さんは、上場直前の1958年、それまでの東京通信工業から「Sony Corporation」へと社名を変更する決断をした。そこにはエレクトロニクス事業や分野が定義された言葉は入っていない。このことこそが、創業者の二人が思い描いていた会社の未来を表しているのではないかと思っている。
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インタビュー=谷本有香 構成=細田知美 撮影=岩沢蘭 取材協力=Quantum Leaps Corporation 撮影協力=Union Square Tokyo

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出井伸之氏のラストメッセージ

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