どこの国にも属さない「世界市民」の素顔

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ヒンドリクスCEOやジョバティカルの「卒業生」への取材を通して非常にはっきりと見えたのはコミュニティーの感覚だ。それは、互いを思いやり、世界のどこにいても絆を形成する強力で堅固なコミュニティーだった。

しかし、自国の文化しか知らない人が世間知らずで視野の狭い人間として見下されることで、同じ国の中で「自己と他人」の分断が生まれ得るのは間違いない。メイ首相が「内集団と外集団」の対比を試みたとき、どちらに訴えかけていたかは明白だ。

国際的コミュニティー

ロンドンやニューヨークなどは長きにわたり、巨大で多様なコミュニティーを持つ「グローバル都市」としての評判を担ってきたが、ジョバティカルの経験から考えると、こうした多様性はタリンやリスボンなどのより小規模な都市でも普及している。これこそ「どこにも属さない市民」が望んでいるものだ。調査回答者の大半は、単一文化環境で過ごす生活を、明らかにネガティブな言葉で表現した。実際、回答者の多くは、こうしたコミュニティーに溶け込むのが極めて難しいと語っている。

こうした傾向は、ブレグジットなどのポピュリズム(大衆迎合主義)運動を受けて強まっている。国際会計事務所のKPMGなどが実施した複数の調査によると、英国在住でグローバルに活動する欧州連合(EU)市民の多くが、同国の考え方が変化していると感じ、転居を考えている。自由に移動することが認められた社会で育ったEU市民の間では、移動の自由が当たり前となった。しかし、国粋主義に傾倒した政治の影響で、自由な移動はますます困難になっている。

グローバル市民の生活は今後数年の間に、多少難しくなっていくだろう。政治家はグローバル市民を、滞在国への愛着を持たない居候だとしてあざ笑ってきた。私の次の記事では、移民を抑制した場合に社会のイノベーションを生む能力にどのような影響が出るのかについて焦点を当てたい。

編集=遠藤宗生

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