世界37カ国、700万人が愛読する経済誌の日本版

日本酒の世界では伝説とまで称される農口杜氏が帰ってきた。「菊姫」や「常きげん」など数々の銘酒を生み出すも、高齢のため引退していた杜氏・農口尚彦さんが、新しい酒蔵「農口尚彦研究所」を舞台に酒造りに復帰するという。84歳の杜氏にとっておそらく最後となるこのチャレンジに、彼を駆り立てるものとはいったい何か。そして最後にみる夢とは。


高級日本酒が世界市場を見据えるポテンシャル

銀座で高級和食店に入る。接待で利用するビジネスマンに混じって、外国人観光客の姿がチラホラと見える。日本人がビールやワイン、日本酒、焼酎などさまざまなものを飲んでいるのを横目に、外国人の手元には必ずといっていいほど「SAKE」、つまり日本酒がある。

いま海外の日本食ブームも手伝ってか、日本のSAKEは、フランスのワインやドイツのビール同様に、メジャーな存在となった。その証拠に、日本酒の海外輸出はこの10年で本数において約2倍、金額において約3倍に拡大している。一方、この5年間で日本酒全体の出荷量は10%程度減少しているにもかかわらず、純米〜大吟醸などの「こだわりの日本酒」は逆に10%程度上昇を続けているというデータ**もあるから、そこから見えるのは、いま、こだわりの日本酒がインバウンドを含めてその需要を拡大しつづけているという状況だ。

もっとも日本酒を飲むのは外国人に限ったわけではなく、日本人による日本酒愛も深まる一方だ。こだわりの日本酒を置く居酒屋や和食店は予約がとれないほど混んでいるし、最近ではフレンチと日本酒や、焼肉と日本酒のペアリングを提唱する飲食店も登場。日本酒は紙パックやカップで飲むものではなく、ワイン同様、造り手のこだわりや特徴を知ったうえで、ときにはヴィンテージ(生産年)も気にしながら飲む、趣味の嗜好品へと変化を遂げた。
**財務省貿易統計 **酒類食品統計月報

酒造りの神様、農口尚彦杜氏が帰ってきた

そこへ、伝説の杜氏、農口尚彦氏が復帰するというニュースだ。

農口氏は昭和7年生まれで現在84歳。石川県鳳珠郡の代々杜氏の家に生まれて、16歳で酒造工として酒造りの道へ入った。なにより彼の名声を高めたのは昭和36年から平成9年まで在籍した「菊姫合資会社」にて、杜氏歴36年のうち、連続12回全国鑑評会金賞受賞、通算24回金賞を受けたという輝かしい記録。他の追随を許さない金字塔を打ち立てた酒造りの神様として、いまもファンは彼の造った酒を憧憬し、探し求めている。


Naohiko Noguchi/昭和7年石川県生まれ。静岡県・三重県の酒造会社を経て、昭和36年「菊姫合資会社」に杜氏として就職。1970年代以降低迷を続けた日本酒市場で吟醸酒をいち早く広め、吟醸酒ブームの立役者となる。また失われつつあった山廃仕込みの技術も復活させ、山廃ブームの火付け役でもある。各分野の最高峰が受賞する「現代の名工」を杜氏として唯一受賞している。

「(引退後の)2年間は家でゆっくりしていましたが、身体も頭もなまるし、このままじゃボケてしまうと(笑)。そんな折に代表の朝野さん(株式会社農口尚彦研究所・代表取締役社長 朝野勇次郎氏)と再会し、彼のふるさとである小松市の地方創生のために情熱をかたむける朝野さんとともに、もう一度人生の集大成といえるような本当にうまい酒を造ろうと決心しました」と復帰の理由を語る農口尚彦氏だが、彼らの見ているビジョンは酒そのものの味わいにとどまらない。その市場や流通の抱える課題、SAKEとしてのブランディングをも包括した、まさに酒蔵の新時代をめざすイノベーションとも呼べるものであった。

新ブランド「農口尚彦研究所」とは何か

石川県は小松空港からクルマで30分ほど。三十三カ所の霊所をかたどった三十三躰の菩薩様が安置されているという観音山のふもと、観音下町(かながそまち)にその蔵はある。いや、蔵と呼ぶにはあまりにモダンな佇まいに、訪れた人はここで酒造りが始まっているとはにわかに信じられないかもしれない。


観音下町では今春から酒米の生産が開始された。

農口氏の頭文字である「の」の字をかたどりながら、利き酒で使うおちょこの「蛇の目」をイメージしたロゴデザインはシンプルでありながらスタイリッシュ。新酒蔵は農口氏の酒造りにおける匠の技術とスピリットを次世代に継承することをコンセプトとし、夢や情熱をもった若者とともに酒造りをしたいという、農口氏の熱い想いを受けとめて設立された。



日本酒と農口杜氏の歴史や酒づくりを見て学べるギャラリースペースのほか、完全予約制の有料テイスティングスペースなどを備えた酒蔵は、農口尚彦氏の名前をストレートに冠した「農口尚彦研究所」として2017年秋に竣工。新酒の12月末リリースを目指して、目下仕込みのまっただなかにある農口氏に酒造り・後進育成への想いを聞いた。

「いま酒は世界市場を見据えています。多くの酒が輸出されているし、私の酒を好んでくれている外国人もたくさんいる。でも、国内市場はまだまだ未熟だと感じているんです。たとえば11月にもなるとボジョレー・ヌーヴォーが小松空港にもたくさん到着してそれがニュースになるんですが、日本酒の新酒が出来たからといってそれがニュースになるか、と(笑)。酒はワインと同じように語られていいし、それだけの中身をもっているのに、まだまだ日本酒業界自体が保守的で古い体質だから追いつけない。私の造る酒は海の向こうでも勝負できます」



「私が若いころは用具もほとんど木製だったため洗うのに手間がかかったものでしたが、いまではステンレスやアルミ製になって作業としては軽減されています。この新酒蔵は最新の機器を導入し、杜氏の時間拘束も以前よりは短くなっているはず。私はその時間を、酒を飲んでくれるお客さまの顔を見て、話をする時間に充てたいと考えています。酒造りへの想い、その苦労を知っていただければ、味わいもいっそう増すかもしれませんしね」



「酒造りでは一麹、ニ酛、三造り(いちこうじ、にもと、さんつくり)といいまして、麹はなにより大切なものです。昔はいまのように精緻なデータも取れませんでしたので、麹をつくるにしても触ったり、つぶしたり、食べたりして加減を見ていたものでした。今は温度や重量を計測しながら、それでもやはり自分の手で触って、食べて。最新の機械を入れていても、最終的に自分の感覚で判断するのですが、そこも後進に伝えていきたいことのひとつ」と、農口氏のとどまることを知らない熱い想いを同じく石川県の逸材がバックアップしている。


高級酒のパッケージングやテイスティングルーム「杜庵」の調度品の選定は、小松市出身で九谷焼人間国宝の吉田美統氏(写真左:吉の字はつちよし)が担当。建築・内装・商品のディレクションは金沢出身の大樋焼十一代、大樋長左衛門氏(写真右)が担当している。大樋氏写真/池田紀幸

次世代への継承と酒蔵・新時代への期待

農口氏のチャレンジは酒造りのみならず、「想いを同じくする若者に自分の技術や酒造りの姿勢を伝えたい」という次世代への継承もミッションとしている。今でも多くの弟子を育成し、杜氏を輩出してきた農口氏だが、現在、彼のもとで酒造りを学ぶのは日本各地とアメリカからやってきた若者たち7名だ。


愛弟子たちと農口氏

「酒造りにデータは欠かせないものですが、それだけではうまい酒は造れない。大切なのは『想い』です。自分の身体を麹に合わせていくという愛情、真剣な気持ちなしには造れない」

「みんなでうまい酒を作りたい。口に入れた瞬間に米の旨味がふわっと立って、喉越しはすーっとキレがよく、心地よい余韻が残るような・・・。うまい酒を造って、お客さんの喜ぶ顔がみたい。それだけです」

「昔は鬼の農口と言われたものですが、今はもう仏のようなものですわ」と笑う農口氏の眼光はいまだ鋭く、見つめられるとドキリとするような力強さを秘めていた。

2時間におよぶインタビューの終わりに、著書にサインしてもらったが、そこにはひとこと「夢造」と書かれていた。

農口尚彦杜氏、84歳の見る夢はまだまだ尽きることがない。

Promoted by 農口尚彦研究所 編集・文=秋山都 写真=菅野祐二

あなたにおすすめ

合わせて読みたい