終わらない「スティーブ・ジョブズ崇拝」を容認すべき理由

スティーブ・ジョブズ(Castleski / Shutterstock.com)


企業のトップは、その企業の成功を左右する一つの要素にしかすぎないという考え方もある。だが、特出した人物の存在は、リーダーと組織の境目はどこで始まり、どこで終わるべきなのかという疑問を、私たちに突き付ける。

芸術作品は、この点を上手く伝えることができる。物議を醸してきた人物であるマクドナルドのレイ・クロック最高経営責任者(CEO)をマイケル・キートンが演じた昨年の映画『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』では、成功を目指す上でしばしば起きる倫理の軽視を描いた。

生の舞台で演じられるオペラは、音楽・歌・ドラマによって感情に直接訴えかけることで、言語化が難しいものを表現できる。劇やオペラは、他の方法では見ることのできない企業トップの一面を明らかにしてくれるかもしれない。

家族、友人、同僚など、スティーブ・ジョブズを個人的に知る人々は、生身の人間としてのジョブズの陰影を知っている。しかし、そうでない人々は、ジョブズの性格を考察し、彼の生き方を語り継ぐことで、彼の成功や失敗について学び、彼の立場で物事を想像できる。自分だったら同じ決断をするだろうか、ジョブズのように好機を見いだせるだろうか、と。

もちろんジョブズは自分の人生がオペラになることにいい気はしないだろう。とりわけ、自分の人間関係や行動を徹底的に探究するような作品には。

しかし、テクノロジーとビジネスという題材が舞台化に値するものであるという点には、彼も間違いなく賛同するだろう。ジョブズを突き動かした重要な考えの一つに、人間が行うあらゆる試みは互いから学ぶことができ、特に芸術は、世界を変える製品や技術の開発に必要な役割を持つ、というものがある。

2011年3月、ジョブズはまさにこの点について触れながら、自身最後となった新製品発表の基調講演を締めくくった。「技術だけでは不十分だということが、アップルのDNAには埋め込まれている。技術がリベラルアーツ(一般教養)と関係を結ぶ、人文科学と関係を結ぶことで、私達の心をときめかす結果につながるのだ」

編集=遠藤宗生

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