世界に広がる「MeToo」、映画から考える性暴力への「あるべき救済の姿」とは

『告発の行方』でアカデミー主演女優賞を獲得したジョディ・フォスター(Photo by Barry King / WireImage)


聞き込みから収穫を得られず、勝ち目がないと悟ったキャサリンは、相手方の弁護士たちとの取引に臨み、ついにサラが「証人として弱い」(その時酒に酔っており、証言に説得力が持たせられない)ことを認め、「レイプ」ではなく「過失傷害」での立件で妥協してしまう。

激怒したサラはキャサリン宅に乗り込み、「酒飲みでヤク中なら男に弄ばれて当然なのか」と荒れる。味方のはずの女性検事補でさえ、この屈辱と怒りを共有してくれないのだという絶望感に苛まれた彼女が、鏡の前で自傷行為に走る場面は痛ましい。

さらにはある日、レイプ現場で見物しながら煽っていた男と遭遇。セカンドレイプについにぶちキレた結果の暴走は、怒りの爆発というだけでなく、追いつめられたレイプ被害者の”自殺”の場面と言っていいだろう。

「敗訴確実」の事件から手を引けと命じる検事局の上司と対立したキャサリンは、レイプを煽り囃し立てていた男たちを告訴するようサラに求める。ここにきてわずかな勝機を掴み、賭けに出ることにしたキャサリンの覚悟によって、ようやく2人の共闘態勢が整うのだ。

法廷でサラが被告側の弁護士からさまざまな尋問を受け、また弁護士が陪審員たちに語りかける場面には、告訴に踏み切った被害者が、更にどれだけの傷を負わねばならないかがよく現れている。

裁判を勝ち取るための最後の詰めは、冒頭に登場した通報者の青年ケンに証言台に立ってもらうことだ。彼は勾留中のボブの友人であり、一部始終を目撃していた自分が「あれはレイプだった」と証言すれば、一旦確定した「過失傷害」がひっくり返り、友人の刑期が大幅に延びることを知っている。キャサリンの覚悟と共に、ケンの逡巡と決意も、このドラマの重要な見どころだ。

さて、実際にどういうことが起こっていたのかは、再現ドラマとして詳細に描かれる。つまり観客は映画の最後の方でやっと、争われてきた事の真相を具体的に知ることになるのだ。

酒を奢ってくれた男とピンボールゲームで盛り上がり、酔っぱらってセクシーなダンスを披露する場面までは、この状況はサラにとって不利なのでは? という疑問すら抱かせる。だがその後の展開は、彼女の意志表示を徹底的に無視したかたちで進行する。やんやと歓声を上げる男たちの視線の中で進行する輪姦の場面は、注視に忍耐を要するだろう。

サラが事実を矮小化しようとする種々の圧力と最後まで闘うことができたのは、彼女の怒りを共有する者がいたからだ。このドラマから私たちが受け取るのは、「被害者は闘うべき」ではなく、「被害者を孤立させてはいけない」というメッセージである。

文=大野左紀子

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