小池百合子知事が操れなかった「期待値コントロール」とは?

小池百合子 東京都知事(Photo by Tomohiro Ohsumi / Getty Images)


都知事選挙に衆議院議員の立場を投げ打って挑戦した行動は、小池知事をカリスマ的リーダーとして強烈に印象付けた。しかし、その後の衆議院議員選挙においてはどうだったのか。

希望の党を立ち上げた時には、「しがらみのない政治、日本をリセットするために立ち上げる」と明確な表現を用いてビジョンを訴え、都知事の立場でありながら国政政党を立ち上げるという並外れた行動力などを見せつけ、期待値を一気に引き上げた。

しかし高い期待値をコントロールし続けるのは、並大抵のことではない。後に示された「花粉症ゼロ」など明らかに議論不足の政策は世論の反発を買った。また「排除いたします」という強い表現は、和を重んじる国民性とは相いれず、小池知事の人間性への不信感へと繋がった。

こうして国民の期待値に疑問を抱かせる行動が続いた結果、小池知事への期待値はジリジリと下がっていった。カリスマ的リーダーは常人を超えた頼もしい存在であることが必要だが、冷徹であってはいけないのだと思う。

小池知事が、再び国民からの期待値を上げるためにはどうするべきだったのか。国民からの信任、すなわち自らのビジョンに対する確信を抱かせるためには、小池知事自身が、リスクを冒す決意を示す以外なかったのではないかと考える。そう、都知事の職を捨てて立候補するしか選択肢はなかったのである。

しかし、自身が立候補するのか、しないのか、国民からの期待値を揺さぶり続けた挙句、リスクを冒すことはなかった。不出馬が決定的となった衆議院議員選挙の公示日に、小池知事はカリスマ的リーダーではなくなったのだ。そして、表裏の関係にある期待値も一気に下がってしまった。
 
カリスマ的リーダーシップは、劇薬である。イデオロギーの要素が含まれる場合や、不確実性が高い場合等においては有効だとされている。そういう意味では、選挙という場面においては、カリスマ的リーダーシップは国民の期待値を引き上げるという効果も含めて非常に有効に機能する。

しかし、劇薬には大きな副作用が存在するのだ。カリスマ的リーダーは、必ずしも最善の行動をするとは限らず、自己の利益や目標を優先してしまい、結果として組織の弱体化を招くことも多い。カリスマ経営者が、まわりにイエスマンばかりを配置し、私腹を肥やし、あっという間に会社が消えてなくなることも決して稀ではないのと同様である。
 
党首就任からわずか約50日。その座を下りた小池知事は、期待値のコントロールに失敗した「束の間のカリスマ的リーダー」だったのかもしれない。

文=林久美子

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