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川村雄介の飛耳長目

Ned Snowman / Shutterstock.com

その男には、森羅万象、日常生活のすべてが心配の種であった。路地を歩けば地面が割れて呑みこまれるのではないか、草原に出ると天空が落ちてきて押しつぶされるのではないか、万事深刻で悲観的な発想しかない。中国周代の杞の国に生きた彼は、後年、誰もが知る熟語の生みの親になった。「杞憂」である。

最近の書店で売れ筋書籍のコーナーを見ると、将来を悲観する論調の本が並んでいる。アメリカの著名な地政学者は、「人口減少」「自由貿易時代の終焉」「技術進歩の急ブレーキ」「資本と信用の急速な減少」「消費の激減」によって「多くの国で、経済のプラス成長は過去の見果てぬ夢となるだろう」と指摘する(ピーター・ゼイハン『地政学で読む世界覇権2030』東洋経済新報社)

同書には、こんな厳しい未来で勝ち残るのは、中国でもアジアでもなくアメリカだ、という落ちがついているが。

日本人の手になると、落ちもなく一段と暗い。地方がなくなる、格差が広がる、財政が破綻するは、いわば時候の挨拶。いまや、認知症患者が激増し、世の中が老人だらけになり、介護離職が大量発生し、住宅の3戸に1戸は空き家になり、輸血血液が不足し、火葬場が足らなくなり、日本の人口はやがて2000人になってしまう、と嘆く憂慮本がベストセラーらしい。

北朝鮮から何度ミサイルが向かってきても、「話し合いが大事だよねえ」などと本質的に呑気な日本人だから、心底では悲観論を楽しんでいるだけだと思いたい。

しかし、企業業績がよく、世界中で最も安定している政権をもちながら、株式相場は低迷を続ける。数多あるオーソドックスな投資指標ではなく、為替相場オンリーの退屈な動きばかりである。やはり日本社会には悲観論が蔓延している。

では、そんなに絶望的な未来がくるのだろうか。ポイントは技術革新をどう捉えるかにある。1970年代は第二次大戦後最初の未来予測ブームで、やはり世界的に悲観論が広まっていた。陸地がすべて砂漠化する、から始まって、ハルマゲドンや核戦争、さらには新種の病原菌や食糧不足で人類は死滅する、まで賑やかなものだった。すべてが外れている。技術進歩のスピードとパワーを過小評価していたからである。

当時、パソコンの普及を予見できた人間はごくわずか、ましてスマホという、通信機能を備えた携帯コンピューターを小学生が操る時代など、想像もできなかった。電気自動車も自然エネルギーもSFの世界であった。クロマグロやクエの完全養殖は法螺話だった。重病を切らずに治せるのは新興宗教だけと思われていた。「半導体の性能と集積度は1年半ごとに2倍になる」というムーアの法則など相手にもされなかっただろう。

この記事は「Forbes JAPAN 2017年11月号」に掲載されています。定期購読はこちら >>

文=川村雄介

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