ビジネス

2017.11.23

社長の急逝に戸惑う社員を一つにした「伝説の経営者の教え」

クボタ 木股昌俊 代表取締役社長

国内農機でトップを独走し、海外でもジョン・ディアやCNHインダストリアルといったメジャーの背中を脅かす存在になったクボタ。急逝した前社長のあとを受けて2014年7月、緊急登板した木股昌俊は、「グローバル・メジャー・ブランドを目指そう」と旗印を掲げ、組織をまとめあげた。あれから3年。120年以上の歴史ある企業はどこまで変革したのか。


──社長就任直後、グローバル・メジャー・ブランドになると打ち出した真意は?

前社長の死去という非常事態での就任。まず社員やお客様に、顧客や現場を大事にするという創業以来引き継いできた精神は変わらないと説明することが先決だった。海外を含めて営業や生産の現場を回ったが、危機感からか、士気は高かった。ただ、「どこに向けて頑張ればいいのかわからない」という迷いも伝わってきた。

そのとき石川島播磨重工業(現IHI)や東芝の社長・会長を歴任した土光敏夫さんのエピソードを思い出した。毎日続く単純作業でやる気を失っていた工場の女性社員がいたが、「世界一のモーター工場にしよう」と高い目標を設定したら、その女性が「自分の仕事がこんなに素晴らしいものだと感じたのは初めての経験だ」と言い、目を輝かせて働くようになったという。

当社も社員の気持ちが上向く高い目標が必要。そこでグローバル・メジャー・ブランドを掲げ、全員でそこに向けて突っ走ろうと宣言した。

──グローバル・メジャー・ブランドとは。

私が入社したころ、配属先の筑波工場ではすでに「世界にはばたけ筑波のトラクター」といって積極的に海外展開をしていた。入社2年目、手伝いのためにアメリカへいった。L185、L245という型式名称のトラクターを持っていったが、お客様には相手にされなかった。L185は18馬力の5シリーズという意味だが、向こうは185馬力、245馬力が普通。アメリカでは求められる馬力が一桁違うことに衝撃を受けた。

当社のトラクターは軽土木用のニッチな市場で売れたが、小型農機だけでは世界で通用しない。こうした原体験があり、私の中では、世界の大型農機市場で存在感を示してこそグローバル・メジャー・ブランドだという意識がある。

多岐にわたる事業展開をするなか、言葉の解釈や具体的な目標設定はそれぞれの部門に任せている。最初はレベル感に差があったが、現場で膝を突き合わせて3年が経ち、ようやくベクトルがそろってきた。
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文=村上 敬 写真=佐藤裕信

この記事は 「Forbes JAPAN No.40 2017年11月号(2017/09/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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