野村HDグループの改革を支える「苦い記憶」と「危機意識」

野村ホールディングス グループCEO 永井浩二 


12年以来、永井はグループCEOとして、時間をつくっては全国の支店を行脚している。トップセールスマンで鳴らした永井に「まずは現場を知れ」とアドバイスを送ってくれたのは、事業法人部時代に付き合いの多かった企業経営者たちだった。

足を運んだ国内営業店の現場で永井が疑問視したのは、野村のいわば伝統的な営業手法である。営業本部が選別した商品を全国で一律に売るスタイルには、若い頃、地方で営業をしていた永井自身が「おかしい」と思っていた。商品ありきではなく、顧客に寄り添うコンサル型の営業にすべきだと考えた永井は、「世の中から支持されないものが長続きするわけがない」と、商品を全国一律で販売する手法は一切やめると宣言した。

「もう決めたことだ。これを守らないとうちに未来はない」

永井は何度となくこの言葉を繰り返しては訴えた。けれども、ある日、こんな光景を目撃する。永井との面談を終えて引き上げて行く古参社員が若手にこう呟いていた。「どうせ、しんどくなったらまた今までの営業に戻るんだよ」

営業店行脚を始めておよそ2年。この古参社員が口にしていた言葉を口にする者はようやくいなくなった。

一方、30代後半の社員たちと話しているときだった。永井は1997年に金融業界を巻き込んだ利益供与事件について、当時の混乱を話していた。ところが、その中堅社員らは事件そのものを知らなかった。永井はそれがショックだった。

永井が心血を注いだ営業改革の目的こそ、こうした不祥事をまた起こせば会社は今度こそ存続できないという危機感からだ。不祥事そのものを知らない世代が社員の半分以上いるという事実。

意識の風化を恐れた永井は、過去の不祥事を映像にまとめ、2年前から定期的に社員たちにそれを見せ始めた。行政処分を受けた8月3日を「創業理念と企業倫理」の日と定め、あえて会社の過去を共有しようとした。不祥事を知らなかった世代、外国人社員らはショックを隠そうとしなかった。それとて、永井によれば「いつかは慣れて風化してしまう」。永井はそれを風化させないような工夫を考え続けている。

すべては存続せんがための危機意識であり、「目指すのは、今まで以上の未来」。永井はそう言うのだった。


ながい・こうじ◎1959年、東京都出身。81年、中央大学法学部卒業後、野村證券に入社。95年の豊橋支店長を皮切りに、事業法人一部長、京都支店長などを経て、2003年に取締役企業金融本部担当。12年に野村證券社長に。同年に野村ホールディングスグループCEOに就任した。

文=児玉 博 写真=佐藤裕信

この記事は 「Forbes JAPAN No.40 2017年11月号(2017/09/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

タグ:

ForbesBrandVoice

人気記事