このような静寂の中で作品に向き合い、感情移入するというのは久しく忘れていた感覚でもある。絶えずスマホのシャッター音に煩わされ、しばしば立錐の余地もない大都市の観光化した大型美術館では、このような体験はできない。
ツアーはランチの時間になり(なんと所要時間5時間のツアーである!)、城内の食堂に向かった。
食堂はゲオルグ・バゼリッツのかつてのスタジオ。壁面にはデッサンが残る。
ランチのソーセージは美味だったが、それはさておき、ツアーの途中からホール氏本人が同行していることに気がついた。ランチ休憩をみはからって話しかけてみた。
気さくだが、眼光が鋭い。この目で瞬時に本質を見抜くのか、それがアートを見る眼にもつながっているのか、と勝手に想像する。実はホール氏は、ドイツ現代美術のジャンルでもトップコレクターとして知られるが、この城にはドイツ人アーティストの作品は一点も展示されていなかった。そもそも、ドイツ人の作品を展示することは城を購入した理由の一つだと聞いていた。単刀直入に聞いてみた。
ホール氏の答えは明確だった。
「ドイツ美術のコレクションを展示したい気持ちは山々ですが、昨年通ったドイツの法律がいかんせん曖昧なのです」
「と言いますと?」
「ドイツ美術の名品を保護し、国外流出をストップする効力がある法律なのですが、EUとの関係で拙速に作られたせいか基準がいかんせん曖昧で、弁護士も展示しない方がよいと言うので……」
万が一コレクションが押収されるリスクを警戒しての判断のようだった。我々日本人は本業以外のこととなると途端にガードが甘くなるが、常にいい意味でのビジネスマインドを失わないのはさすがである。
話は弾み、帰りのタクシーを待っている間に夫人とのツーショットをダメ元でリクエストしてみた。「台所で?」とジョークで返すホール氏。「いえ、ゴームリーの作品の前でお願いします」。
かくして、Forbes誌にメガ・コレクターとして登場してもらうことに成功した。どこまでもカッコイイ生き方だと思った。
石坂泰章が案内するアートの最前線!
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Andrew Hall◎ヘッジファンド運営会社のアステンベックキャピタル主宰。英国に生まれる。1973年オックスフォード大学を卒業(化学)。80年にINSEDでMBA取得。92年フィブロ社CEOなどを歴任。
Chiristine Hall◎アンドリュー・ホール夫人。英国に生まれる。2007年にアンドリューとともにホール美術財団を創立。06年にドイツのデルネブルク城を購入、展示スペースとする。