「ブレードランナー」から考える、クラスター化という現代の闇

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今年続編が公開されて再び話題を呼んでいる1982年公開のSF映画「ブレードランナー」は、2019年の近未来を、科学技術と、深い孤独や疎外が同居する世界として描いている。

人形に囲まれて暮らす科学者、架空の記憶を必死に作り上げるアンドロイド、そして、自分を狙うハンターだけが、想い出を語れる唯一の相手になってしまった悲劇──。天才タイレル博士をチェスで秒殺する電子頭脳を持ちながら、自らの未来を求めて反乱するアンドロイドの姿はまさに、現在の人間がイノベーションに抱く複雑な思いを先取りしているようだ。

我々が目にしている現実の2017年は、惑星間飛行などの点では、「ブレードランナー」の世界に遠く及ばない。しかし、情報技術の発展は、むしろ1982年時点の近未来予想を上回っているかもしれない(ブレードランナーのデッカード捜査官は、電話をかけてターゲットの在宅を確認していた)。そして、もしかすると孤独や疎外の方も。

無意識のうちに進むクラスター化

今日、人々が一日何時間も眺めて過ごしているインターネットやスマホの謳い文句は「世界の誰とでもつながれる」である。しかし、「誰とでもつながれる」ということは、逆に言えば「つながる相手を選べる」ということでもある。

多様性ある人間が構成する社会には、当然ながら、気の合う人も、合わない人もいる。この中で、仲間を見つけながら、必ずしも気の合わない人々とも「上手に付き合う」ことや、時に生じる「意見対立を乗り越える」ことを学ぶ。それが、かつての地域であり、学校のクラスであった。

しかし最近では、地域や学校の会合に集まった人々がバラバラにスマホを眺めていても、誰も驚かなくなった。そのうち、「自分の好きなタイプの友達と先生だけでできているバーチャル教室」が、アプリ化される時代が来るかもしれない。

また、「たまには新聞を隅から隅まで読んでみよう」というのは、かつては典型的な暇潰しだった。しかし、今日、ネットで記事を見ていると、検索履歴が配信側にも使われ、いつの間にか自分の気に入りそうな記事ばかり表れるようになる。このように、無意識のうちに、自分好みの意見で囲まれた「クラスター」に入れられ、対立意見から遮断されてしまうと、敢えて「意見対立を乗り越える」努力をする必要すら感じなくなってしまうかもしれない。

情報技術を活用した金融イノベーションや経済活動でも、現実のビジネスは、必ずしも世界中の人々を一様に対象にしているわけではない。むしろ、多くの人々の中から、ビジネスの効率的なターゲットとなる特定の「クラスター」を作り出すために、新しい技術が使われることが多い。

典型例として、ネットによるユーザーの「クラスター化」や「ターゲット化」との競争に晒されるメディア産業をみても、例えばTVドラマでは、「その時間にTVを観てくれて購買力もありそうな特定層」に合わせた主人公設定が増えている。「サザエさん」などホームドラマの苦戦は、その象徴といえるだろう。
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文=山岡浩巳

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