東京・新橋駅に程近いビルの7階に、悠翔会という医療法人の本部がある。その日、クリニックを兼ねるオフィスを午前中に訪れると、理事長の佐々木淳は爽やかな笑顔で「どうも」と迎えてくれた。
2日前、初めて会ったときと全く変わらない。物腰の柔らかさ、好奇心に満ちた優しげな目。在宅医として激務をこなしているはずなのに、疲労を表には決して見せず、一定の調子で静かに話す。その言葉の端々に、医療への情熱が宿っている。
「人間はいつか必ず病気になって、死んでいく。治せる病気は増えてきたけれど、それでも病気はなくならないし、我々が死ななくなることもありません。そのことを見て見ぬふりするのではなく、自分たちの切実な問題としてどう受け止めるかを、僕らは真剣に考えなければならないはずです」
佐々木が代表を務める悠翔会は、都内に10カ所の診療所を持つ在宅医療専門のクリニックだ。現在、訪問診療を行う在宅患者数は約3500人、年に300人のペースで増えている。佐々木は患者の意思を第一に尊重する診療方針を掲げ、この10年で3000人以上を在宅で看取ってもきた。
首都圏では2030年には後期高齢者の数が2010年と比較すると、倍に増えるとされる。現在、年間に亡くなる人の数は約129万人だが、現状での自宅での看取りは年間10万人にすぎない。
「首都圏には『高齢者の津波』と呼ばれるような波が、この10〜20年でやって来ます。これに対して在宅医療のインフラがなければ、病院が高齢者に占拠されるでしょう。そうすると若い患者を受け入れられず、急性期医療が破綻する危険もある。在宅医療のシステムは、急性期医療を成り立たせるためにも不可欠なんです」
そんななか、在宅医療にとって最も大切な視点は、「病気や障害が不幸だという固定観念をまずは捨てて、それによって得られたものがないかを考えること」と彼は続けた。
「病気になって初めて気づく家族の大切さ、人生の意味や豊かさ。後悔や取り戻せない過去に固執するとき、僕らは現実をなかなか受け入れられません。だからこそ、『いま』に意味を見いだせるよう促し、最期まで人生を主体的に生きるためのサポートをすることも医療の役割だと思うんです」
患者の中には一分一秒でも長く生きたいと願う人もいれば、最期は好きなお酒や煙草を嗜み、自由にしていたいという人もいる。本人の価値観や家族の思いを踏まえながら、医師としての技術で生活をサポートする。
自宅で最適なケアを受けながら死を自然と受け入れていく人たちの姿を、彼は患者の家族とともに見続けてきた。例えば、末期がんの患者が意思を尊重され、穏やかな最期を迎える。そんな看取りを経験すると、家族も自らの「死」と向き合い始め、「自分も同じような最期を迎えたい」と語るようになることが多いという。
「それに──」と彼は語るのだった。
「病院で働いていた頃、僕は自分が死ぬときのことを考えるのが嫌でした。でも、たくさんの人たちの看取りにかかわるうち、その僕自身が変わった。もちろん、やらなければならないことがたくさんあるし、寂しさや悲しさは残るでしょう。それでも、死は決して怖いものではない、と思えるようになったんです」
医師によって患者と家族が変化し、患者と家族との交わりによって医師の側もまた、内的な変容を遂げていく。思えば彼のこれまでのキャリアは、そのような「気づき」に満ちたものでもあった。