流行をとらえろという意味で使われがちの言葉だが、服部の話を一通り聞いたあとでは、こう言っているようにも聞こえる。過去から未来に流れる大きな文脈を読み取れと。彼が語ったのは、「ブランド」を築いていくストーリーであった。
今年、服部はセイコー傘下の1ブランドだった「グランドセイコー」を単独ブランドとして独立させた。2018年度には世界でセイコーブティックを100店舗展開する予定で、スイス勢が占める高級ブランド市場で勝負をかける。その背景には危機感があった。服部が話す。
「1969年にセイコーはクオーツを開発し、当時、国内で45万円もする高級時計でした。現在では世界の時計生産数量の95%以上はクオーツをベースにしたものになり、中国メーカーが低価格でつくれるようになりました。クオーツはコモディティ化して、中級のイメージでとらえられる恐れがでてきたのです」
1881(明治14)年、服部の曽祖父である服部金太郎が「服部時計店」を創業して以来、「世界のSEIKO」として土台は築いていた。64年の東京オリンピックでは、それまでスイスのオメガだった公式計時を初めてアジアのメーカーとして担当。67年には時計の精度を競うスイスのニューシャテル天文台コンクール機械式腕時計部門で、企業グループ賞の2位3位となり、翌年のジュネーブ天文台コンクールでも上位を独占した。
決定打がクオーツの開発だろう。時計は毎日時間が狂うものという常識を覆し、正確さで人々の生活を変える一方で、スイス勢は大量の失業者を出し、壊滅的な打撃を被った。
「スイスと戦おうと思っていたわけではないのです」と服部は言う。
「たまたまクオーツが画期的だっただけで、スイスに見習うべきところは多い。特にブランド力です。セイコーに137年の歴史があるといっても、スイスには200年以上の歴史をもつ会社があり、ブランドのストーリーがある。物語が商品に反映されているのです」
クオーツ・ショックで一時はどん底に落ちたスイス勢は、連合軍のように連携し、80年代以降、ブランド力で再び巻き返しを図った。
服部は、2003年にセイコーウオッチの社長に就任。毎年、スイスの国際時計見本市に行く。
「そのころ、セイコーの腕時計は、国内と海外でマーケティングが別で融合していないし、グローバルブランドという概念も希薄でした。当然、グランドセイコーは海外では売っていない。世界のSEIKOといっても、それは東京五輪とクオーツのときがピークで、国内と海外ではブランディングが別になっていたのです」
一方、服部自身が関わったのが、世界初となるGPSソーラーウオッチ「セイコーアストロン」である。