前回とは異なる場所から撮られているため、橋の建設の進捗状況や現地の様子がよくわかる。まず気づくのは、図們江(朝鮮名:豆満江)の川幅が狭く、水量が少ないこと。今年北朝鮮は雨が少ないと聞いていたが、そのとおりのようだ。
対岸をみると、集合住宅が見える。今夏は少雨のこの地域も、昨年は豪雨に襲われ、流域の多くの人が被災した。だが、復旧スピードは早く、あっという間に住宅が建った。まるで中国側に見せつけているかのような迅速な仕事ぶりで、中朝国境でも数少ない北朝鮮の様子がそのまま望める南陽の古い町並みを隠してしまった。
友人によると、核実験のあった9月3日はこれまでになくひどいゆれがあったが、「もう慣れた」と苦笑いする。北朝鮮の水産物の輸入を止めた中国政府の制裁は、この先も続くだろうと地元の貿易関係者は気をもんでいるそうだ。
つまり、中国はとりあえず経済制裁はするけれど、北朝鮮との人や物流の往来ルートとなる国境橋の建設は続けている。これをもって中国の制裁は手ぬるい、本気ではないなどと単純に言えるだろうか。むしろ中国人の発想によくある「それとこれとは別の話」ということなのだ。
中朝国境橋の多くはかつて日本の手によって架けられたが、いまでは中国がハイスペックのリニューアルバージョンとして架け変えようとしている。
現在国際列車やトラックが利用する中朝友誼橋(旧橋)に比べ、中朝鴨緑江大橋は2車線で道路も広く、旅客や貨物往来の拡大が期待されていたが…
中朝国境最大のゲートウェイである遼寧省丹東市には、すでに3年前に完成した中朝鴨緑江大橋という全長3kmの巨大な吊り橋がある。温家宝首相(当時)が2009年の訪朝時に合意した協力事業で、11年5月に建設を開始した。だが、両国の関係悪化に加え、北朝鮮が税関や周辺道路の建設を怠って、いまだ開通に至っていない。中国からすれば、1億5000万ドルとも伝え聞く投資をしながら、まったく回収されていないも同然だ。
なぜ中国は北朝鮮とつなぐ橋を架け続けるのだろうか。
中国が周辺国の交通インフラを自ら築こうとする光景は「一帯一路」を進める東南アジアや中央アジアでも見られる。国力の差を視覚的に相手に見せつけて主導権を握ろうとする姿勢は中国の伝統である。
今日、両国の経済や国力の違いは、丹東から北朝鮮の新義州を眺めれば一目瞭然だ。中国側は地方都市でも多くの高層ビルが林立しているのに、鴨緑江の向こうはどこまでも農村地帯が続いている。
中国・遼寧省丹東市から眺める北朝鮮・新義州の町並み。両国を隔てる川は鴨緑江で、北京行きの国際列車の走る中朝友誼橋(旧橋)が見える。
中朝国境には、中国系とそれ以外のさまざまな民族の平和的な往来と、武力による領土争奪をめぐる応酬の2000年以上の歴史がある。中国は表ざたにしないが、中国側では古代この地域を支配した高句麗の山城や城壁の遺跡があちこちで発掘されている。そもそも高句麗王朝の最初の2つの都は中国領内(桓仁、集安)にあり、最後の都は平壌だ。この地域にとってそれは単に古代史の話ではなく、いまもなお、その歴史が連続した時間軸の中に生きている面がある。