パリのマレ地区のリサイクルショップを訪れた彼女の目にとまったのが、埃をかぶった1940年代製の黒いフェドラハット(中折れ帽)だった。10ユーロでその帽子を買い求めたレオンは、そこに彼女と同じイタリア系の苗字があるのを見つけた。「その瞬間、自分が進むべき道を見つけた気がした」とレオンは話す。
それから8年後、30歳になったレオンはハットブランド「ジャネッサ・レオン」を運営し、バーニーズやノードストロームなど世界450店舗で自身のアイテムを販売している。顧客には女優のリヴ・タイラーやルピタ・ニョンゴ、モデルのクリスシー・テイゲンのほか、実業界ではジェシカ・アルバも彼女のハットを愛用している。
レオンは2015年のフォーブスの「30アンダー30」に選ばれた。ジャネッサ・レオンの2017年の売上は300万ドルを上回る勢いだという。
レオンは独学でデザインを修得し、ビジネス的な知識は会計士の父親から教わった。父は他人から資金を借りるなと言った。その後、2年間は自宅で暮らし、ベビーシッターの仕事で1万ドルを蓄えた。赤ちゃんが寝ている間に帽子製造のビジネスに関するリサーチをしていた。「何から手をつけていいか分からなかった」とレオンは言う。
ロサンゼルスでベースボールキャップを作る業者にも会ったが、全く意味が無いことに気がついた。テキサスのカウボーイハットのメーカーに電話をかけたこともあった。様々なワークショップに顔を出してみた結果、ようやく発見したのがカナダの工場だった。父親に相談した後、まずは2000ドルで自分がデザインした帽子を作ってみた。
その後、友人のつてをたどりロサンゼルスで有名ファッションサイト「WhoWhatWear」の運営元のClique Mediaの関係者に出会った。その紹介で「エル」や「ヴォーグ」のファッションエディターらに帽子のサンプルを送り記事にして欲しいと頼んだ。2012年7月、記事を見たバーニーズの担当者から注文が舞い込んだ。
レオンは現在も全ての帽子のデザインを自身で行っている。彼女のように自己資金のみで創業し、立ち上げ当初から黒字化を果たすファッション系のスタートアップは珍しい。マーケティングはインスタグラムやフェイスブック、グーグルの広告のみで行っている。
ジャネッサ・レオンのファクトリーは現在、ニューヨーク郊外の小さな工場に置かれている。「コストが抑えられるからといって、海外の工場に製造を依頼したくない。クオリティが完全にコントロール可能な米国内の拠点のみで生産を続けたい」とレオンは話した。