世界と日本のPRの違い
中学生にして情報の発信に目覚めた秋元だが、本格的にその道に歩み出したのは、大学を終えてイギリスに留学していたときだという。そこで「PR」という仕事を知ることになる。
「ロンドンの日系の出版社でアルバイトをさせてもらっていたのですが、そこで一緒に働いていた人が日本でPRエージェンシーに勤務していた方で、PRというのは企業の商品やブランドの情報を世の中に伝えていく仕事だと教えてくれたんです。自分たちでどういう情報を出したいか、どんな人たちに伝えたいかを設定して、それに合う手段を選択し、計画していくという。なるほど、そういう仕事が世の中にあるのかと、そのとき初めて知って、すぐにいろいろなPRエージェンシーに履歴書を送りましたよ」
イギリスから帰国して、秋元はPRエージェンシーの「フルハウス」に入社。6年間、外資系飲料メーカーの立ち上げに参加したり、駅ビルや駅ナカの施設のオープンなどに携わったりした。
「日本で言うPRというのはすごく領域が狭いんです。プレスリリースを送って、記者発表をやってそれでおしまいという、世界でいうパブリックリレーションズとはちょっと形態が違う。ところが、ぼくが入ったフルハウスという会社は、PRの他に映像制作とイベント制作、この3本柱でビジネスをしていた。具体的に言えば、テレビ番組の制作、イベント制作だとモーターショーだとかF1とか多面的にやっている会社だったので、そこでの仕事は、のちにHAKUTOでの情報発信戦略を考えるうえでずいぶんと参考になりました」
PR会社の後、事業会社の広報を経験し、2016年3月、秋元はHAKUTOを運営するispace社に完全移籍する。きっかけは、2010年1月、東京大学で行われたispace代表、袴田武史が幹事をつとめていたセミナーに出かけたことだった。宇宙に興味がなかった秋元が、なぜ袴田たちのプロジェクトに参加することになったのか。
ストーリーのあるコンテンツとの出合い
「2011年1月から、HAKUTOにはボランティアで参加していました。最初の頃は、毎週土曜日にルノワールとか代々木のオリンピックセンターの会議室を借りて、打ち合わせをしてました。事務所もなかったので、いろいろなところを転々としていたんです」
HAKUTOではボランティア時代からPRという情報発信に携わっていたというが、では、なぜ「宇宙」だったのか。その理由に、「プロセス」というキーワードがある。
「PRエージェンシーのやる仕事というのは、商品はすでに出来上がっていて、その商品の魅力をどう伝えていくかという、いわば外側の部分しかやらない。商品の魅力がどれくらいあるかということで、ほとんどPRできる内容とかインパクトは決まっちゃうんです。そうではなくて、そもそもどういうコンテンツをつくるかっていうところからやってみたかった」
「いちばん最初に東京大学でセミナー参加したとき、Google Lunar XPRIZEというレースがあります、そこに参加するチームがあります、日本でお金を集めて、自分たちでローバーの開発をして月に行きます、という袴田の話を聴いたとき、この豊かなストーリーがあるコンテンツを育て上げられたらすごい面白いことになるんじゃないかなと思いました。いろんな人たちの気持ちを動かすことができるコンテンツになると思えたのです」