その日のピッチャーは、切れ味の良いフォークボールが決まり、三振の山を築いていた。それを見たアナウンサーが、聞いた。
落合さんなら、あの鋭いフォーク、どう打ちますか?
その質問に対して、落合氏は、飄々とした風情で答えた。
ああ、あのフォークは、打てますよ。あの球は、鋭く落ちるから、落ちてから打ったのでは、打てない。だから、落ちる前に打てば、良いんですよ。
この話を聞いた瞬間、思わず、「なるほど」と納得した。しかし、すぐに、この話の怖さに気がついた。打撃の奥義を語った、落合氏の見事な解説に、思わず、自分でも、そのフォークが打てるように感じてしまった。その錯覚に気がついたからだ。
そして、それが、決して野球の世界にとどまらず、いかなる分野であれ、プロフェッショナルの世界において、我々がいつも陥る落し穴であることに気がついたからである。
永年の体験と厳しい修練を通じてしか掴むことのできない深い「智恵」を、単なる「知識」として学んだだけで、その「智恵」を身につけたと思い込んでしまう。
いま、書店に行けば、様々な分野のプロフェッショナルが、そのテクニックやノウハウについて語った本が溢れている。それにもかかわらず、そのプロフェッショナルのテクニックやノウハウを身につける人が少ない。
それは、本で知識を学んだだけで、智恵を掴んだと思い込む錯覚が、一つの大きな理由であろう。そして、我々がプロフェッショナルのテクニックやノウハウを掴めない、もう一つの理由を、やはりプロ野球の世界のエピソードが教えてくれる。
かつて「安打製造機」の異名をとった打撃の名手、張本勲選手のところに、若手選手が相談に来た。
張本さん、理想のバッティング・フォームについて、教えて頂きたいのですが。
この質問に対して、張本選手は、こう答えた。
理想のバッティング・フォーム? もし、君がそれを知りたいのならば、一晩中、素振りをしなさい。一晩中、素振りをし続けて、疲れ果てたときに出てくるフォーム、それが、君にとって一番無理のない理想のフォームだよ。
このエピソードも、大切なことを教えてくれる。
我々は、いつも、成功するための普遍的な方法があると思い、その理想的な方法を、手軽に身につけたいと考えてしまうのである。いま、書店に溢れる『プロのテクニック』や『成功の法則』などの本。それらは、たしかに、実績も実力もあるプロフェッショナルが書いたものであり、実際に成功を遂げた人物が書いたものであるが、それらを読む前に、自らの心に問うてみるべきであろう。
「自分は、この本を読めば、厳しい修練を積まずに高度なテクニックが掴めるという幻想を、心の深くに抱いているのではないか」
「自分は、この本を読めば、楽をして成功を手に入れられるという安易な考えを、心の奥底に抱いているのではないか」
そのことを自らに問うとき、昔から語られる一つの言葉が、胸に迫ってくる。
「敵は、我にあり」
田坂広志の連載「深き思索、静かな気づき」
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