日本人はなぜ、「重症になってから」病院へ行くのか?

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山本は札幌で生まれ育った。歯科医の父のもと、3人兄弟はすべて医療の道へ。「うちは3段式ロケット。上のふたりは札幌医大と北海道大学で、3番目を切り離したら津軽海峡をうまく超えたぞと(笑)」。

ロケットは東京からアメリカを経由し、もう一度日本に着地。だが、選んだ道はひどく孤高だ。まず、ローカルな課題に地道に取り組むソーシャルアントレプレナーは、コア技術で闘うスタートアップほど人目を引かない。

対「国」という壁も経験した。政府がデータヘルス政策を打ち出した13年、「80億円の予算でデータヘルスシステムを開発する。ついてはミナケアの解析ロジックを教えてほしい」と言われる。山本は「私たちが考えたビジネスモデルとアルゴリズムは知的財産であり、企業秘密です」と突っぱねたが、懸念したとおり、政府がプロジェクトを進めた途端、そちらを選んでミナケアを離れる顧客もいた。

「結局、これだけの不合理が生き残っているには理由があるんです。変えようと動き出すと、快く思わない方々がいる。一方で、既存の枠組みの人たちによる“仏つくって魂入れず”的なプロジェクトが生まれては消える。消えたとき、山本の考えていたことは結局実現できないと世間にいわれては死んでも死に切れない(笑)。今後もこの事業を全力で進めていきますよ」

現在、ミナケアの事業には3つの柱がある。第1は前述の「データ解析事業/データヘルス支援事業」。

第2が「ヘルスケアサービス開発支援事業」。ヘルスケアや医療に関連する事業会社と連携し、新しいヘルスケアサービスの開発を支援する。13年、コンビニエンスストアのローソンが「マチの健康ステーション」へとスローガンを変えて、ヘルスケア事業に取り組み始めたが、ミナケアはこの企画に参画している。

第3が、保険者の業務効率化を促進する画期的なシステム「元気ラボ」だ。導入した顧客には、約98.9%の作業時間を削減、約90%の外部委託費を削減などの効果が出た。

また、起業と同時に始めた「山本雄士ゼミ」には、北大から琉球大までの学生や医療関係に務める社会人など、これまでに約1000名が参加。感化されてビジネススクールに行った者、会社を退職し医療ベンチャーを立ち上げた者、WHOに入ることを決めた者などがいるという。

「健康に投資する新たな医療」という孤高な闘いに、ようやく光が射し始めた。


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山本雄士◎1974年、北海道生まれ。東京大学医学部卒業後、同大医学部付属病院など臨床医として6年で7つの病院に勤務。2007年、ハーバードビジネススクールでMBA取得。半官半民を経て、11年、ミナケアを設立。共著書に『病院経営の仕組み」など。(写真=吉澤健太)

文=堀 香織

この記事は 「Forbes JAPAN No.39 2017年10月号(2017/08/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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