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2017.10.07

日本料理の危機に「地方から」挑む老舗料亭

金沢の日本料理店「銭屋」の2代目、高木慎一朗シェフ


東京から直線距離でも約300km。金沢は、決して交通至便というわけではない。地方にいるデメリットは感じないのか。

「羽田から小松空港まで、わずか50分。成田空港から鎌倉に行くより近いですよ、むしろ、東京でレストランをやることの方がデメリットだと感じます」と高木は言う。

東京でレストランをやるデメリット、とはどういう意味か。東京は多くの観光客が来るところだ。料理に大して興味はなくても、一軒くらい名の通った日本料理屋に行っておくか、というような客もやって来る。

「そうではなく、自分はフランス料理の名店、トロワグロになりたいのだ」と、高木は言う。フランス南東部、リヨンから更に1時間離れた、ロアンヌ。人里離れた場所に、50年間ミシュラン三ツ星を取り続けているレストラン、トロワグロはある。人々は、この店で食事をするためだけにロアンヌを訪れる。

それと同じように、この金沢の地で、心から料理を愛する人のためだけに料理を作りたい。

それは、少しずつ形になりつつある。この銭屋のために飛行機に乗ってやって来る。そんな客が、増え始めているのだ。

ここでしか伝えられないものを伝えて行く存在になりたい。金沢に根を下ろした料理を伝えていこうとする一方で、高木は「故郷石川の加賀料理が、形を変えて世界で楽しまれるようになったら面白い」と意気込む。

日本料理や文化の継承への危機感もあり、銭屋では海外からの研修生を積極的に受け入れている。そして高木は、その研修生がそれぞれの母国に帰った後、どんな料理を作って行くかにも興味がある。

「そこに自分の名前なんて出なくていいんです。だけれども、世界のどこかで、治部煮はね、って語るシェフがいて、それは実は自分が伝えたものなんだ、って、なんだか楽しいじゃないですか」

その国に適応することで、元々の治部煮とは違うものになってしまってもいいのか、と聞くと、「治部煮にチョコレート入れました、だっていいんです。それがその場所で残っていくのなら。どんどんやって欲しいですね」。高木はそう言って、愉快そうに笑う。残っていく、ということは、料理の「魂」が継承されていくということ。高木はそう考えているのだ。

人生の転機となった、2009年のアラン・デュカスとのコラボレーションで、デュカスに言われた言葉がある。

「どこから来たのか分からなければ、どこに向かうのかも分からない」

自分はどこから来たのか。生まれ育った金沢、父から受け継いだ銭屋が、自分の心の中心にある。ここから自分が作る料理が、未来を生き抜く日本料理につながっていって欲しい。京都からでも、東京からでもない場所から、日本料理を変えていく。

人類は進化と適応とを繰り返して生き抜いて来た。変わらないものは、残らない。

「本物っていうのは、誰かがそういうから本物なんじゃないんです。残っていくものが、結果として本物になるんです」

文=仲山今日子

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