三日坊主になってもガッカリしない
次に(2)だが、「人は必ずしも完璧である必要はない」という意味である。「継続は力なり」だが、しばしば「完璧主義」が私たちの成長を阻んでしまう。
私はいつも「三日坊主上等!」といっている。途中で諦めることがあっても、継続できないのは当然、と自分を許してあげよう。続けられない人ほど、自分への期待値が高すぎるのだ。
「続けられなかったこと=挑戦に失敗した」と捉えて必要以上にガッカリし、自己嫌悪に陥ってしまう。それは何だかもったいない。そもそも続けられなくて当然、というくらいの気持ちを持とう。やろうと思っていたことが途切れても再開すればいいだけのことだ。
先ほどの語学講座も三日坊主になる典型的な例だが、しばらく聞いていなくても、がっかりせずに再開できるかが重要なのではないか。継続できない理由のほとんどは“完璧主義”にある。継続するために重要なのは「再開力」である。
これに加えて、「5分だけやる」というルールも有効だ。例えば、◯◯の勉強をするというと、だいたい1時間くらいの予定を立てがちだが、なかなか1時間も取れない。ならば、まずは5分やる習慣を身につけるほうが意味はある。
1時間を毎日やるのは大変だが、5分捻出するだけならばなんとかなる。まずは5分だけやることを習慣化できれば、それを10分、15分、30分と、月を追うごとに増やしていけばいい。
1時間やらなければいけないと思うと気持ちの準備が必要だが、5分ならば気持ちの準備などいらない。すぐに着手できる。すぐに着手する習慣が身につけば、継続への道は開けたも同然だ。
結果でなくプロセスを楽しむ
最後の(3)もとても大事な考え方である。確かに、自己投資は自分のスキルを磨く「手段」ではあるのだが、同時に、その行為自体を「目的」として楽しめることがベストだろう。
ジャーナリストの立花隆氏はこんなことを話している。
「私にとって取材は本を書くための手段である。でもじつは違う。私は取材そのものが楽しいのだ」(文藝春秋編『立花隆のすべて』より)
私はこの言葉にとても共感する。自己投資に限らず、投資という行為は結果だけを求めてしまうと、報われないときの失望が大きく、つらいものになる。また、効率のよい方法ばかりを追い求めると、その時間が味気ないものになってしまうのだ。
私自身は調査の仕事は、投資で成果を上げるための苦役ではなく、調査そのものが楽しみであり、目的でもある。立花氏とまったく同じだ。プロセスを楽しんでいるからこそ、長く現役で仕事ができている。そして長く現役で仕事ができれば、ノウハウもたまるし、そういう経験値の蓄積が誰にも負けない武器になる。
人は楽しいからこそ熱中するし、成長意欲がわいて工夫し続けることができる。結果や効率にこだわりすぎず、プロセスを楽しむことに取り組むのがいい。
いかがだろうか。自己投資が少し気楽になったのではなかろうか? 楽しむことで人生そのもののチャンスが増え、人生をより良くすることにつながると思う。自己の成長を感じることこそ、人生の極上の喜びだ。
ファンドマネージャー藤野英人の「投資の作法」
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