大幸薬品創業家の三男として生まれた柴田は小学生時代、「老舗に兄弟が多いのは揉め事のもと。別の道に行きなさい」と父に諭され、外科医を志す。しかし、研修先の大阪府立千里救命救急センターで、正露丸の未来を左右する出来事と出会った。1985年、エチオピア飢饉の医療支援から帰ってきたセンター所長の「正露丸ってすごい薬や。何で効くんや」という言葉だ。
「この質問に答えられなければ、大幸薬品も正露丸も消えゆく」と気づいた柴田は、正露丸の有効成分である「木(もく)クレオソート」の作用メカニズム解明プロジェクトを当時の社長だった父に提案する。
実は、木クレオソートの歴史は古い。紀元前にミイラの保存に使用され、19世紀にはドイツで化膿傷の治療や防腐剤、下痢止めとして重用された。日本では1902年、中島佐一薬房が「忠勇征露丸」の名で初めて販売を開始、2年後の日露戦争で陸海軍の常備薬に採用されて成功を収めている。戦後、製造・販売権を継承した柴田の祖父は、「露(ロシア)を征する」という意味だった名称を、「正露丸」と変えて売り出したというわけだ。
木クレオソートの安全性・有効性を明確にするため、父は91年に研究所を設立し、薬理効果のデータ収集や発がん性試験を実施した。よって、発がん性の高い石炭クレオソートと、樹木を炭化させてつくった木クレオソートの誤認混同も解消され、2014年には日本薬局方で化学物質から生薬に移行された。
「古き良き伝統薬を最新のサイエンスによってエビデンスを明らかにし、時代に合わせたかたちで提供しつづけていくことは、医療全体を豊かにするひとつの重要なテーマだと思います」と柴田は語る。
もちろん、医学博士号を取得し、一般外科医として働いていた柴田自身も、この正露丸の薬効研究に加わっていた。「外科医はスポーツ選手に似たところがあって、現役は50歳くらいまで。そこからは体力、判断力が衰えてきますから、外科医のかたわら、会社も手伝っていました」。