直観力を身につける二つの道[田坂広志の深き思索、静かな気づき]

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直観力とは、いかにして身につくものか? この問いに対して、多くの人々は、直観力とは、「論理」とは対極にある「感覚」の力を磨くことによって身につくものであると考えている。

しかし、それは真実であろうか。そのことを考えさせるのが、将棋の世界で五つの永世称号を得た大山康晴棋士のエピソードである。

冬のある日、将棋会館での用事を終え、大山名人が帰ろうとしたとき、部屋の出口の近くで、若手棋士たちが「詰め将棋」をやっていた。その詰め将棋は、極めて難しいものであり、天才的な資質を持って修練に励んでいる若手棋士たちが集まっても、なかなか解けないものであった。

このとき、大山名人はコートを着ながら、その横を通り過ぎ、出口のところで振り返って、「諸君、お先に」と挨拶をした。そして、そのとき、一言つけ加えた。

「ああ、その手は何手目で、何で詰むよ」

驚いた若手棋士たちが、その後、詰め将棋を解いたところ、果たして大山名人の言葉通りになった。そこで、感銘を受けた若手棋士の一人が、後日、大山名人に聞いた。

「大山先生。先生は、あの何百通りの手を、あの入口まで歩む数秒間に、すべて読まれたのですか?」

この質問に対して、大山名人は答えた。

「いや、手を読んだのではないよ。大局観だよ」

これは、大山名人の持つ、大局を瞬時に把握し、答えを直観的に掴む優れた能力を示すエピソードであるが、では、大山名人は、いかにして、この直観力を身につけたのであろうか。それは、言うまでもなく、生まれ持って身についていた能力でもなければ、ある日突然天から降ったように身についた能力でもない。

これほどの直観力を持つ大山名人もまた、かつて、この若手棋士たちと同様、難しい詰め将棋を前に、そして、実戦の盤面を前に、手を読んで、読んで、読み抜くという極限的な修練を積んできたのであり、その修練を通じて、この直観力を身につけたのである。

すなわち、大山名人は、無数の盤面を前に、考えて、考えて、考え抜くという「論理に徹する修業」を積み重ねた結果、ある段階で、その意識が「論理の世界」を超え、「論理を超えた世界」=「直観の世界」へと入っていったのである。
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文=田坂広志

この記事は 「Forbes JAPAN No.38 2017年9月号(2017/07/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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田坂広志の「深き思索、静かな気づき」

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