また、カンヌの至るところで目に留まるのが、オフィシャルパートナーの存在だ。例えば、ヒューレット・パッカードのロゴは、パレの巨大バナーにも、プレスパスの裏側にもしっかりと入っていた。
オフィシャルパートナーのなかには、カンヌで新たなプログラムを生み出し、イニシアティブをとるブランドもある。グローバル・ラグジュアリー・ブランドの「ケリング」は、3年前から映画業界で働く女性に光を当てるプログラム「Women in Motion」をスタート。ケリングでは、同社の顧客の8割が女性ということから、女性を取り巻く社会問題の解決にも力を入れてきた。
女性が幅広い分野で活躍しているフランスでも、2011年から2015年に公開された女性監督による作品は全体の22.3%に留まる。この背景にあるものとは、何なのか─。アワードとトークを行うことで、カンヌから発信し、皆で考えよう、という試みだ。
トークには、コスタ=ガヴラス、サルマ・ハエック=ピノー、チュニジアの監督カウテール・ベン・ハニアが登壇
課題は映画業界で働く女性の少なさだけでなく、描かれる女性像が画一的だという点にもある。例えば、この20年間で公開されたアメリカ映画において、看護師の約9割が、秘書の約8割が女性によって演じられる。女性の脚本家がもっと増えれば、もっと多様な映画が生まれるかもしれない。
こうした議論は、ジャーナリストや映画の製作に携わる人々が集まるカンヌで行うからこそ、意味を持つ。ケリングのプレスオフィサーの女性は、「自身の体験を話そうと考える女優や女性監督たちがいて、関心を持ってトークを聞きにくる世界各国のジャーナリストがいる。記事になることで、多くの人々がこの問題について考えられるようになるのではないか」と話す。
このプログラムをカンヌでスタートして3年目。「映画業界で働く女性が置かれている立場は変わったのか?」と問うと、「“映画における女性”について発言する場が増えてきたように感じる」という答えが返ってきた。例えば、アカデミー賞授賞式やセザール賞の授賞式で。人々の目がカンヌに向いているときに発信されたことは、それほど強い影響力を持つのだ。
パリに次いで“2番目”
最後に、カンヌという街について、年間を通してこの街をよく知るであろうタクシーの運転手やレストラン経営者たちに聞いて歩いた。カンヌ映画祭の開催にかかる費用は約2000万ユーロ(約26億円)。その約半分を文化省やカンヌ市などの公的基金で賄っている。映画祭は“究極の町おこし”でもあるのだ。
1981年までは、現在、監督週間の上映が行われている場所をメイン会場としていたが、83年に現在の場所にパレを建設した。24段の階段、そしてレッドカーペットを用意し、ここで撮られた女優たちの写真が世界中に回るように。73年には1154人だったジャーナリストの数が、パレを建設した後の84年には2762人に急増している。
そして、このパレは年間を通して有効活用されるようになる。カンヌライオンズ(6月)、カンヌ・ヨットフェスティバル(9月)、国際テレビ見本市(10月)など、ほぼ毎月何かしらのビジネスイベントが開催される。あるタクシーの運転手は、こう口にした。
「街の中心にパレがあり、海があり、レストランがあり、ホテルがある。この街にはすべてが揃っている。カンヌ映画祭の知名度によって多くのビジネスマンも惹きつけられるようになったんだ」
スーケの丘から望むカンヌ市。夏場は、イギリス人観光客の避暑地としても人気だ。
パレと映画祭の存在によって、かつては漁村でしかなかったこの小さな街は非日常を求めるビジネスマンたちを集めることに成功したのだ。カンヌ市観光局によると、カンヌはパリに次いで2番目にビジネスイベントが多い街となっている。
映画祭の終盤。マーケット会場ではこんなやり取りを耳にした。
「また来年!」「1年って、あっと言う間だよね」
セラーもバイヤーも1年間、それぞれの場所で仕事をし、再び戻ってくる場所。ジャーナリストたちは、「もっと沢山の作品を観ることができたかもしれない」と悔やみ、意気込みを新たにする。彼らが発信するカンヌの魅力に引き寄せられ、新たにここを目指す人々がいる。だから、70年を経てもなお、参加者は増える一方なのだ。土地の持つ魅力、市の戦略、そして企業をも惹きつけるブランディング。すべてが一つになって、「世界のカンヌ」はできている。