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2017.09.11

ビットコイン分裂から考える、「情報技術は万能ではない」という事実

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また、今回の分裂の直接の引き金は、一部の巨大な取引検証(マイニング)業者の主張であった。

このことは裏を返せば、分裂により、ごく限られた取引検証者が圧倒的な力を持ってしまう仮想通貨ができ得ることを示している。その場合、国民国家の枠組みの下での管理通貨のように、いろいろな制度的歯止めが設けられた上での独占と、「いつの間にかできあがっていた」独占と、一体どっちがマシなのか、という話にもなりそうである。

民主主義も通貨も、共に人間の偉大な発明である。人間の発明の中で重要なものを「1つ挙げろ」と言われれば「言語」であろうが、「10個挙げろ」と言われれば、民主主義と通貨の、どちらも入ると思う。ただ、民主主義にしても通貨にしても、残念ながら人間は、放っておいてもこれらが自動的に機能するような、究極の仕組みまでは創り出せていない。

実際、我々は、ゲリラ戦の末に独立を勝ち取り、これで誰もが等しく意思決定に参画できると喜びに沸いていた国々でも、しばらくするととんでもない独裁者が生まれていた、といった歴史上の事例を数多く目にしてきた。残念ながら、独裁者が人々の選択と市場原理を通じて速やかに淘汰されるような姿には、なっていないのである。

もちろん、人間の側が「究極の仕組み」がないことを十分理解するならば、直接民主制も仮想通貨も、多様性を備えたエコシステムの一部として、職業政治家や中央銀行にdiscipline(規律)を持たせ、fiduciary duty(信任義務)を果たさせることなどに寄与し得る。

例えば、地方公共団体のリコール制度は、職業政治家のモラル確保に役立つだろう。同様に、インターネット上で誰でも取引できる仮想通貨の登場は、直截な資本規制などが効きにくくなることを示唆している。このことは、中央銀行は平時からソブリン通貨の信認確保にしっかり努めなければいけない、ということにも繋がる。

民主主義も通貨も、環境変化に応じた改善やメンテナンスの責務から人間が解放されることは、おそらくない。どちらも、インフラ維持の努力を不断に重ねてこそ、はじめてしっかり機能すると考えるべきだろう。

文=山岡浩巳

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