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2017.09.11

ビットコイン分裂から考える、「情報技術は万能ではない」という事実

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古代アテネの直接民主制には、何か「理想郷」のようなイメージがある。全ての市民がアクロポリスの丘に集まり、職業政治家には頼らず、皆が対等の立場で意思決定に参加し、全員がその責任を負う。これこそ究極の民主主義ではないか、と。

だが、アテネのやり方を深く研究したローマも、結局、直接民主制をそのまま採用することはなかった。その後の歴史をみても、現在に至るまで、直接民主制の採用は、かなり規模の小さい共同体に限られている。これは、共同体の規模が拡大すると、直接民主制を機能させるコストが大きくなり過ぎるからだと説明されることが多い。

ビットコインの黎明期に表明された期待感も、直接民主制への憧憬によく似ている。いわく、ビットコインでは国家や中央銀行に頼ることなく、参加者が皆で全ての取引を検証する。だから、特定の主体による恣意的な通貨への介入からも自由になれる、と。

しかし、「皆で全ての取引を検証する」という、直接民主制のような仕組みを貫徹しようとすれば、取引の量が増え、参加者のネットワークが大きくなるほど、検証のためのコストは膨れ上がっていくはずだ。

もちろん、ビットコインの開発者たちもこの問題は十分認識した上で、将来のコンピュータの進歩などによる克服が期待されているわけである。ただ、古代アテネの直接民主制から2500年が経ち、この間、通信など情報伝達の技術は飛躍的に進歩したにもかかわらず、これによって直接民主制が世界中に広がったとは言いにくい(各人にワンプッシュで投票できる端末やアプリを配るのは簡単でも、橋や道路やゴミ焼却場や税制など、あらゆる事柄の詳細を全ての人々が把握することは難しい)。

そうだとすると、情報技術の進歩が仮想通貨の課題を自然に解決してくれると考えるのも、楽観的に過ぎるかもしれない。

8月のビットコインの分裂も、このことを示唆しているように思える。ビットコイン分裂の背景は、今年に入ってからの価格高騰などを受けてビットコインの取引が増加し、検証作業から積み残される取引が出てきてしまったことだと説明されている。

しかし、取引が増加したといっても、現在ビットコインが日常の買い物に広く使われているわけではない。この段階ですでに処理能力の制約が表面化したことを考えれば、いかにコンピュータが進歩したところで、今後もやはり同じようなことは起こり得るとみておく方が安全だろう。
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文=山岡浩巳

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