日本の「平均点教育」について僕が思うこと|小山 進

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もし僕が学校の先生だったら、普段から言うことを聞いてくれる子のほうが扱いやすいし、話を聞いてほしいと思うでしょう。でも僕は実際には先生じゃない。話をさせていただくときに子どもたちに会うだけで、毎日ではないからこそ、その瞬間に先生が普段言えないことも言える。都合がいいだけに聞こえるかもしれませんが、実は、そういう瞬間のほうが効果がある。

僕らみたいな人間はどんどん活用していただければいいと思います。せっかく招いていただいて話をさせていただくんですから、こちらは限られた時間の中で何かの役に立とうと全力で挑みますよ。

目の前の問題に真剣に向き合う

以前、僕の息子が通っている大学で、経営学部の学生向けに講演をしました。彼らはいろんな経営論を勉強していて、僕も同じように勉強して経営者になったと思っていたようです。有名な経営理論を挙げられても僕は知らないので、とてもビックリされました(笑)。

僕はシンプルに目の前の問題に真剣に向き合って、解決してきただけ。確かに本屋に通って様々な本を読んできた時代もあったけれど、それは自分の行動を振り返る“答え合わせ”のようなもの。「自分はあのときこうやって解決してきたけど、この人の言っていることと同じだな」という感覚です。

キツい言い方になるかもしれませんが、“習ったこと”は所詮机上の話で、「こんな場面に出会ったら、こうやって解決しよう」と思っていてもそんな場面はなかなかやってきませんから。要は、今まで目の前にある問題にいかに真剣に向き合って、解決しようと一生懸命努力をしてきたかどうかが身になって将来に活かされていく、ということなんです。

僕が学生向けの講演の依頼をできる限りお引き受けしている理由は2つあります。1つは、自分の子どもの未来が今より生きにくい時代になるような気がし始めたから。もう1つは、店のスタッフの採用面接を14年間続け、彼らの行動や言動を見ていると、僕らの時代と全く違うことが分かってきたからです。彼らの行動を修復しようと思ったら、ある程度大人になってからでは間に合わないんですよ。できればもっと早い、幼稚園〜高校生くらいの段階までに伝えたいと考えています。

先生とは評価する基準が違う

数年前、近所の小学校から、創立20周年を記念して「生徒が紙粘土でケーキを作るイベント」の相談を受けました。審査するのかと尋ねたら、「審査なんてとんでもない。1位や順位を決めたりするのはダメなんです」と言われて驚きました。

社会に出たら競争の連続で、そこで悔しさや優しさなどいろんなことを勉強するのに、もったいないですよね。人というのは、ある時点で「人との競争」を卒業し、「誰にも負けないためにはこれぐらいやらないと!」と、自分自身との競争をするようになっていくものだと思います。

結局、審査はしませんでしたが、「圧倒的なお手本を創ってやろう」と僕自身も作品を提供しました。そのまま子どもたちの作品と一緒に展示していただいたのですが、「これ誰の作品?」と、その周りには徐々に子どもたちが集まり、ザワザワしていました。

また、僕がすごいと思った作品は、先生が褒める作品とは全然違うことに気づきました。先生が評価したものは、左右対称できっちり絵に描いたようなもの。僕が評価したのは、どこで着地したらいいのか自分のエネルギーの収めどころが分からないような力のある作品でした。それを5つほど選んで、作った子に会いたいと言ったら、その学校の問題児トップ5人でした。先生からは「何でこの子たちがいいんですか?」と聞かれましたが、僕から見たら、何でこの子たちがダメなのかと思うわけです。

先生たちは授業以外にもいろいろな業務で忙しく、だから時間のかかる子を「問題児」だと思ってしまう。でも、手がかかるぐらいの生徒のほうが、意外と面白いものを作るんですよ。
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編集=筒井智子

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