老舗の二代目が目指す「日本人が来ない寿司屋」

はし田シンガポールで腕をふるう橋田建二郎(38)


順風満帆なスタートに見える。しかし、内情は違った。「一週間もしないうちに、本気で東京に帰ろうかと思った」と、橋田は当時を振り返る。

来る客来る客、カウンターに座った途端、「私は普段◯◯という店や××という寿司屋に行っているの」と他の高級寿司店の話をする。今、目の前にある自分の寿司を楽しんで欲しいのに、他の店の話をするのは、失礼極まりないと感じた。

ある日、親しく話した客の一人に、思い切って聞いてみた。すると、意外な答えが返ってきた。「私たちが他の店の名前をあげるのは、普段から江戸前の寿司店に通っていて、ちゃんと寿司を正しく楽しめるから、外国人だからと手加減しない、本物の寿司をよろしく、という意味なのよ」。

自分が、シンガポールの客を知ろうとしていたのと同じように、客も、自分たちのことを知ってもらおうとしていたのだ。シンガポール流のコミュニケーションだったと気がついて、受け止め方が変わった。

シンガポールは小さな国だけに、噂が広まるのが早い。特に、夜は客単価400SGドル(約3万2000円、飲み物含む)にもなるはし田に通える財力のある富裕層の社会は、非常に狭い。東京からの仕入れの都合で良い状態の寿司が出せなかったり、不快な思いをさせれば、あっという間にその噂は広がる。だから、気が抜けない。

また、富裕層であればあるほど、通り一遍のサービスではなく、自分を見てサービスされている、という感覚を大切にする。特に、客の大半を占める中華系の間では、日本人以上に、酒を通してその場が盛り上がることを重視する。

そこで役に立ったのが、青森から身一つで東京に出て来て、東京のはし田を、政財界の大物がお忍びでやって来る店にまで育て上げた父の教えだった。

「料理が美味しいのは当たり前、サービスや空間そのものを楽しんでもらうことが大切」というのが、父のモットーだった。そんな父は、橋田が20歳になった頃、週末ごとに京都に送り出した。「日本のエンターテイメントの粋である“お座敷遊び”を通して、いかに客を楽しませるかを学んで来い」。


カウンターの奥には、京都の芸妓さんからもらったうちわが並ぶ


「人と触れ合う仕事が好き」という豊富なサービス精神、お座敷遊びを通して学んだ、自分に求められている役割を素早く読み取る瞬発力、そして何よりも「相手目線」が、橋田の引力の源泉にある。

メディアに登場することが多い橋田目当てで店に来る客も多いが、橋田は、自分の話を求められない限り、あくまでも脇役に徹する。初めて来る客にもきめ細かく声をかけ、上手にその輪の中に引き込んでゆく。はし田の引き戸を開けるまでは他人だった客同士で、いつの間にか話が弾んでいる、それがはし田の真の魅力でもあり、居心地の良さにもつながっている。

プライバシーもあるため、わざわざ橋田からお互いを紹介することはしないが、実は、席の並び一つとっても「この人とこの人を隣り合わせにすると、共通点が多く面白いのではないか?」などの深い配慮がその裏にはある。はし田のカウンターでの出会いが、ビジネスや友情に結びついて、また来てくれる。そんな良いシナジーが生まれる場を作り出すことが、愛される店づくりにもつながっているのだ。

そうして客同士の話が弾んでいる間に、橋田本人は別の個室に移動して、そちらを盛り上げるというわけだ。
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文、写真=仲山今日子

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