私の仕事はファンドマネジャーである。個別企業の株式を売買しながらお客さまから預かった資金を増やしていく仕事だ。5年くらい前に、母から改めて仕事の内容について尋ねられたことがある。それで詳しく説明したら「ああ、思い出したことがある」と言われた。
それは私が5〜6歳の頃の話だった。当時は繁華街のそばに住んでおり、家の前では常時、露天商のおじさんがたこ焼きを焼いていた。私は幼稚園から帰るといつも窓からたこ焼き屋さんをじっと見ていて、お客さんの数を数えていたそうだ(じつは記憶にない)。そして、家での食事のときには「今日はたこ焼き屋さん、お客さんが多かったよ」とニコニコしていたり、「今日は少なかった」と暗い顔をしたりしていたそうである。
あるときは母と外出して、たこ焼き屋のおじさんにインタビューをしたようだ。「おじさん、たこ焼き焼いて、もうかるんかい? 生活するために焼いているんかい?」と私が聞くと、おじさんは「ああ、もうかるよ、坊や」と答えたという。当時、母は非常に驚いたらしい。どうしてこの子はそんなことに興味があるのか、と。冒頭の話に戻ると、母は笑いながら私に言った。
「つまり、今もそういうことをしているんだね」
確かに私の今の仕事は、いろいろな会社に行ってインタビューをして、経営陣や事業内容を調べ、経済動向を見たりしながら、個別企業に投資している。母は子供の頃と変わらないと話していたが、私自身、そんなことは覚えていなかった。そういう意味では、今の仕事は「天職」なのかもしれない。
実際に何が天職かは誰にもわからない。もし人生を何回か繰り返すことができれば、いろいろな仕事にトライして、最も適した職業を選択することができるだろうが、残念ながらそんなことはできない。天職と思える職業に巡り合った私は単にラッキーだったように思える。
この仕事をしていると、さまざまな社長にお会いする。その人生もさまざまだ。では、なぜその職業に就くことになったかといえば、「たまたま行き着いた」という人が多いと感じている。
もちろん、本人に合った職業だったからこそ会社を発展させたり、株式上場させたりすることができたのは間違いない。しかし、それ以上に「置かれた場所で咲く」というか、「今いる場所で一生懸命に生きる」ことによって、道を切り拓いたという人が多いようだ。
成功している経営者は、業種を選ぶというより、いかなる業種でも新しい取り組みをして、違う切り口で領域を拡大しているかどうかに違いがある。つまり、場所以上に、そこで工夫し、楽しみ、新しい価値を見いだしているか、ということである。少なくとも上場まで到達した会社をみると、人気業種であったという企業はむしろ少ないくらいだ。
その行動によって自分の仕事がとても魅力的なものとなり、結果的に天職のような感覚になっているのではないかと思う。本人にしてみれば、「神様に与えられた幸福」のように感じていても、それは本人がつくり出した部分が大きいのではなかろうか。