ビジネス

2017.09.04

あの夜酔っ払っていなかったら、今でも宇宙の仕事はしていない

HAKUTO/ispace ソフトウェアエンジニアの清水敏郎

月面探査ローバー「SORATO(ソラト)」の打ち上げまで、半年を切った。HAKUTOのエンジニアたちは、最後の仕上げに余念がない。ソフトウェアのエンジニアとして、通信システムの要も担当する清水敏郎も、相乗りパートナーであるTeamIndusの拠点があるインドのバンガロールとの間を往復しながら、システムのチェックに当たっている。

その清水だが、実はいまでも別の会社「システム計画研究所/ISP」の社員であり、HAKUTOへは「出向」というかたちで、この人類初の月面探査レースGoogle Lunar XPRIZEに関わっている。


「もともと私はプロボノとして参加していました。勤務先の「システム計画研究所/ISP」が渋谷にあり、当時HAKUTOの前身であるホワイトレーベルスペース・ジャパンは隣駅の恵比寿にあったので、本業の仕事を終えた後に、午後8時頃から終電までこちらの仕事に熱中していました」

現在HAKUTOのエンジニアとしては最古参のひとりとなった清水だが、2013年2月に働き始めたときは、専門分野を生かして働くボランティアである、プロボノであったという。

「恵比寿には開発拠点と資金調達部門のふたつがあったのですが、開発拠点が東北大学に移ることになったので、休職して仙台に行こうと決心しました。ところが幸いなことに寛容な会社で、『出向』というかたちで働いてよいということになりました」
 
どうしてもHAKUTOでの仕事を続けたいという思いを叶え、2014年4月から東北大学の大学院、吉田和哉教授の研究室に移り、フルタイムで働くことになった清水だが、もともと子供の頃から宇宙に対して強い関心があったわけではない。

「4、5歳の頃から、身のまわりの変化するモノに興味があったのです。例えば、ゴジラの下敷き、温度が変わると色が変わって火を噴く。その変化はなぜ起こるか、それに興味がありました。あとは10円玉と100円玉の色はなぜ違うのだろうかとか」

このモノの変化や違いに対する疑問が、清水に自然科学への目を開かせた。それに輪をかけるように小学校1年生の頃、母親が愛読していた科学雑誌『Newton』 によって、本格的に物理に対する志向が明らかになる。

「『Newton』はグラフィックが素晴らしい雑誌で、ふだんから私が興味や疑問を持っていたことが、もう少し小難しく書いてあった。なかでも原子核、中性子と陽子の話が面白かった。モノが実はすべて同じものから構成されていて、見た目は違うものもすべてそれらの組み合わせだけで成り立っているというのが、私には非常に感動的でした」

この時点では、清水少年の興味はまだ宇宙には向かない。宇宙という項目が出てくるのは、小学校3年生の頃。とはいっても、星はなぜ動いているのか、どうして光り輝くのか、そういうような興味であったという。

「ロケットなどにはまったく興味はなく、星そのものがどうしてそこにあるのかということに関心がありましたね。つまり工学よりも理学に興味があった。そして高校生のときの恩師が九州大学の物理学科の出身だったので、私も同じ大学を選びました」
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文=稲垣伸寿 写真=小田駿一

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