宮澤ミシェルが「言葉と教育の道」に進んだ理由

宮澤ミシェル氏(写真=藤井さおり)


──その後解説業にとどまらず幅広くメディアで活躍されていますが、現役の選手達に道を示したいという思いもありますか?

選手が引退後、ファーストキャリアの延長のまま食べていける道を作らなければ、と思っていました。メディアに出ることで「解説者で食っていける、こういう道もあるぞ」というのは見せていけたらと思っています。

解説以外にも、サッカー選手の引退後の道としては、教員、営業職、開業など、様々な道ができています。実は、現役選手には、日本サッカー協会を通じて新しい道で活躍している元選手と繋がれる体制もあります。僕の元にも相談が来たりしますよ。

──浦安市教育委員会の委員としても活動されていますが、教育分野への興味はいつからあったのでしょうか?

ずっと、学校の先生に憧れがあったんです。小学生の頃、周りに外国人がいなくていじめられる僕に、先生は「お前のことを評価してくれている友達もいっぱいいるんだぞ」と言葉をかけてくれた。また、サッカーをやめようとしていた中学生のときには、大学卒業したてのサッカー上手な先生がチームの監督になり、「この先生を超えて、日本のトップになってやる!」と続けることができた。

なんども学校の先生に助けられた経験があったから、教育にはずっと関心を持っていました。

──就任のきっかけはどのようなものですか?

現役引退後、浦安市の前市長とサッカーの“チームづくり”について話していた際に「教育委員をやってみないか」とお話をいただいたのがきっかけです。

教育の現場を経てきた教育委員会の方からすれば、僕は教育についての知識も経験もありませんが、サッカーを通して知った、チームの話や世界の話をするんです。例えばドイツはどのように10年かけて世界一を取り戻せたか。それは育成に力を入れたからです。「周りの選手たちのために手伝う」「人のために頑張る」などと、少年時代からメンタルを変えていくことで、プレーやチームが変わっていく。こうして、サッカーを通して見てきたことは、教育の面に置き換えることができるんです。

僕は、教育委員をやる前からサッカースクールなどで毎年20〜30校を回っていたのですが、教えるときにはまず、アクティビティなどをして生徒に「楽しい」と思わせることを大事にしていました。楽しく、明るい気持ちになると、するとちょっと面倒なことも前向きに取り組んでくれるのです。

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だから地域の校長先生が集まるような場で「読み書きはもちろんですが、“楽しいこと”を教えて、小学校が面白くてしょうがないところにしてください」と話すこともあります。必ずしも正解ではないかもしれないけど、教育現場じゃないところから見た視点が、先生たちのヒントになればと思っています。

──教育の面で、今後実現されたいことがあれば教えていただけますか?

スポーツを通して、「ルール内で頑張ること」「人の心の痛みがわかること」「人付き合いができる」「自分の感情をコントロールすること」などを学んでほしいですね。人の気持ちに触れなくても子どもは成長しますが、触れながら育つと人生の充実度が全く違います。スポーツをやることで人間的に潤った子どもが育てば、いい社会になっていくと思います。

編集=市來孝人

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