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2017.08.31

僕が「番組を作らないディレクター」になった理由

この連載でも紹介してきたプロジェクトの数々。

「番組を作らないディレクターって変わっていますよね」ってよく言われます。先日、社会人大学院で講師をさせて頂いたのですが、そのときも司会の方に言われました。

「今日の講師の小国さんです(会場拍手)。小国さんは変わっていて、えーとなんでしたっけ、あのフォーブス ジャパンの自己紹介にも書いてあった、変わったアレ」

「あ、番組を作らないディレクターってやつですか?」

「そうですそうです、ディレクターさんなのに、ふふふ、変わっていますよね(会場笑い)」

あ、どうしよう、なんか恥ずかしい。連載の自己紹介欄を変えようかな、と一瞬マジに考えたのですが、やっぱり変えません。「番組を作らないディレクター」には僕なりのちょっとしたこだわりがあるんです。

僕が番組を作らないディレクターになったきっかけは、4年前にさかのぼります。僕はそのころ、「プロフェッショナル 仕事の流儀」というドキュメンタリー番組のディレクターをしていました。1か月半の中国ロケを終え、1か月の編集、そして無事に放送。毎度毎度繰り返される放送までの超絶しびれる日常をなんとかくぐり抜け、無事に放送を出せたあと特有の安堵と充実感にひたりながら、自宅に帰っていたときのことです。

家路に向かうバスの座席についたとたん、とつぜん動悸が激しくなったのです。最初は何が起きたのかよくわかりませんでした。今にも出発しようとしていたバスに乗るためにちょっと走ったからかな? 最近運動不足だったしな、とも思ったのですが、一向に動悸は止まってくれません。それどころかどんどん激しさを増していきます。汗が止まらず、呼吸もしにくくなってきて、徐々に目の前が暗くなっていきます。

これはさすがにヤバイんじゃないかと思い、スマホに顔を近づけて検索すると、バスの経路沿いに救急病院があることがわかったため、なんとか病院まで自力で向かいました。

病院に着くとすぐに処置室に入れられ、たくさんの線を体に取り付けられるとずっとアラームが鳴っています。「これドラマみたいだな」と思いながら、心電図の数字をちらっと見ると脈拍が250/分近くなっていました。あとで知ったのですが、通常脈拍というのは60〜80/分とのことですから、かなり脈が早くなっていたことが分かります。

その後、一時は呼吸が止まったりもしたのですが、さまざまな処置の結果、無事に一命をとりとめました。病気の名前は心室頻拍というもので、僕はもともと心臓の心室にバグがあり、それがなにかのきっかけで誤作動をしてしまい、今回の発作が起きたとのことでした。

いやあ、あっぶねー、死ぬとこだったわ……助かってよかったなぁとホッとしていたら、お医者さんから「ディレクターは辞めた方がいいかもしれませんね」と言われました。

え、マジっすか、それ。

僕、自分で言うのもなんですけど、テレビ番組作るのめちゃくちゃ好きだったんです。NHKに入るまでは日テレさんとフジテレビさん(主にダウンタウンさん)しか見てなかったけど、NHKに入って、NHKの番組を初めて見て、ぶったまげたんですよ。ドキュメンタリーってこんなに面白いのかって。

尊敬できる番組屋たちもたくさんいて、そういう人たちでも撮ったことのない世界を撮りたい、撮りたい、撮りたいと思って10数年ディレクターやってきたんです。番組を作ることが楽しくて仕方なかったし、もっともっとやれることがあると思い始めたころだったんですよね。

でも、それが、もうできなくなるってことっすか……。

基本的に楽観的ですが、このときばかりはかなり落ち込みました。本当に大切にしてきたものを突然奪われて、でもそれは自分自身の体が原因で、受け入れる以外ないわけです。うーん、困ったなぁ。番組が作れないディレクターなんて、もう存在価値はないんじゃないか……。

ん? 待てよ。でも、この状況ってオイシクないか? ある日、僕はいきなりそう思い始めました。
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文=小国士郎

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