100億円を寄付した永守重信の「壮大な構想」

左から、門川大作 京都市長、田辺親男 京都学園理事長、永守重信 永守財団理事長、山田啓二 京都府知事。


—起業家を紹介する79年の古い雑誌の記事に、34歳の永守さんのことがこう書かれていました。「その計画性は、同社長の自宅に貼ってある大きな張り紙を見ると、ひと目でわかる。20歳代から75歳を過ぎるまでの自分の人生設計と、会社の規模、事業計画まで書き込んである」。当時から現在のことを計画していたんですか。

永守:張り紙にはもっと具体的に書いていて、「〇〇社を抜く」と書いて、実際に売り上げを抜いたら赤線を引っ張って消しました。それで「次は▽▽社を抜くぞ」と宣言します。そうやってどんどん抜いていきました。私は2030年までに10兆円企業をつくって、その後は人の教育をやろうと決めていたんです。

昔からこうした計画を立てて、さらに、日々、手帳には前の晩に「明日やること」を20〜30項目書きます。そのメモを順番に消していって一日が終わります。出張に行っても、ホテルに着いたら明日の計画を手帳に書き込みます。何時に食事をして、何時に運動するなど全部です。そしてその通りピシッとやります。

—土日も?

永守:もちろん。創業以来、毎日。私は時間通りに動きます。休みだからと昼寝などは、しないのです。人は「そんな人生、面白いのか」と言いますが、だからこそ面白いのです。その日によって気持ちが変わるとかは、ありません。人生の目標があり、実現したいことに向かって動き、その目標が達成されるから、また次の目標が出てくるのです。

ただ、私は会社を1兆円企業にするまでに41年かかりましたが、今であれば20年でできると思います。昔は大企業中心の系列取引だったのでモーターは簡単に売れませんでした。でも、今は自由競争だし、世界にも出ていけるし、お金も借りやすい。昔のように全員が「出世したい」という激しい競争があるわけでもない。条件は整っているのだから、あとは自分の頑張りようと執念なんです。

—目標実現に向けて、どうやって人を巻き込んでいくのですか?

永守:カラスが鳴かない日はあっても、私が面接しない日はないくらいでした。昔は、飛行機に乗ったら、隣の人に名刺を渡して、「お仕事、何をされています?」と聞き、ニューヨークに到着するころには「うちに来ませんか?」と誘っている。そうやって何人もの人が入社しました。

また、シャープ、東芝、少し前はソニー、パナソニック、三洋電機を退職した人材を大量に採用しました。大企業の基礎研究所にいた人たちもそうです。
 
どうやって口説くのか? 夢を語るのです。大きな夢を実現するための情熱を語る。誰しも夢を実現したいと思っているのだけど、そのチャンスがないから大企業に入ったわけでしょう。でも、私の過去を見たらわかる通り、どの夢も実現させてきた。今の目標は日本電産を10兆円企業にして、世界に大きな事業を残すことです。


永守重信◎永守財団理事長。日本電産会長兼社長。1944年、京都府生まれ。67年、職業訓練大学校(現・職業能力開発総合大学校)電気科卒業。73年、日本電産を設立し、社長に就任。2014年からは会長を兼務。同年、永守財団を設立し、「永守賞」を創設。画期的な技術開発をしたモーター研究者を顕彰している。

文=藤吉雅春、写真=ヤン・ブース

この記事は 「Forbes JAPAN No.37 2017年8月号(2017/06/24発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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