学者としてだけでなく、数多くの心理カウンセリングの経験を積んでこられた河合隼雄氏。この対談においても、いつものように飄々とした風情で、様々な洞察を語られたが、この「謙虚さ」について語られた言葉が、いまも心に残っている。
人間、自分に本当の自信がなければ、謙虚になれないのですよ。
その静かな言葉の奥にある人間洞察の鋭さに、深い感銘を覚えたが、同時に、この河合氏の言葉は、逆説的でありながら、たしかに真実であると感じた。なぜなら、筆者は、永くビジネスの世界を歩み、色々な人物を見てきたが、様々な場面で、同様のことを感じてきたからである。
例えば、部下に対して横柄な態度を示すマネジャーを見ていると、その心の奥深くから、自信の無さが伝わってくるときがある。また、声高に「俺は負けない!」と語り、虚勢を張る人物から、逆に、内心の自信の無さを感じるときがある。
その意味で、この言葉、「自分に本当の自信がなければ、謙虚になれない」は、真実であろう。
実際、世を見渡せば、「本当の自信がないため謙虚になれない人物」は、決して少なくない。いま、この一文を目にする読者の心にも、過去に巡り会った様々な人物の姿が浮かんでいるかもしれない。
しかし、筆者の自省を込めて述べるならば、こうした鋭い人間洞察の言葉を、誰かに対する人物批評として使うことには、危うい落し穴がある。
世の中には、パスカルの『パンセ』、ラ・ロシュフーコーの『箴言集』を始め、鋭い人間洞察の言葉があるが、これらは、本来、「他人を評する」ための言葉ではない。それは、どこまでも、「自身の内面を見つめる」ための言葉であろう。
その姿勢で読むならば、我々は、この河合氏の言葉から、深い内省の時間を持つことができる。