龍や人間をデフォルメしたようなフォルムなど、さまざまな形状の奇石には人為的な加工はほとんど施されておらず、自然の形状のまま観賞される。中国人は、あるがままの石に小宇宙を見るのだ。自然の対極に人間を置く西洋に対して、人間も自然の一部とする東洋独特の世界観、美術的視点が垣間見える。中国の山水画で仙人が小さく描かれるのもその世界観ゆえだ。
奇石の脇によく細い棒が置いてある。不思議に思って曾氏に尋ねると、棒の先端の布が巻いてある部分で、いくつかの石を叩いてくれた。鐘を突いたような金属音が響く。形状、材質に加えて、一部の奇石では古来その音が愛でられてきたという。
等身大の巨大な奇石の展示室から、卓上サイズ中心の展示棟へと移動した。コレクションは100点を超えるが、「数十点は日本から購入しました」と曾氏は語る。今や日本の骨董商、オークション会社からも常に作品のオファーがあるという。
江戸時代に日本に伝わった奇石は、明治期にかけて煎茶道の流行とともに広まり、茶席などで珍重された。日本の文人たちも石を眺めて俗世を忘れ、風雅の世界に心を遊ばせたのだ。
展示室を後にし、庭園を散策した。移築した木造建築が立ち並ぶ中庭の中心に、中国庭園に欠かせない蓮池がある。「ここにいると明時代にタイムスリップしたような、安らいだ気分になります。絵の題材がすべて揃ってる感じですね」と曾氏。
会話が弾み、急きょ翌日、市内の旧城壁内の胡同にある自宅にうかがうことになった。原宿のように賑わう旧市街の大通りを一本路地に入ると、そこは打って変わった静けさだ。中庭を四棟で囲む清時代の伝統建築・四合院が曾氏の自宅だった。北京に6000以上あったという四合院は2000年以降の再開発でも多数取り壊された。現在売り物件はほとんどなく、あったとしても価格は数億円と言われている。
(左)スタジオ内。書や鳥籠など、随所に文人趣味が徹底している。(右)北京中心部の四合院の自宅。清の時代に建てられた。
自宅の庭にも、奇石や蓮を栽培する鉢が飾られ、いにしえの風情がある。「そもそも四合院とはこういうものなんだ!」と妙に納得がいった。
脳裏をよぎったのが、約10年前に偶然通りかかった四合院の中を見せてもらった時の記憶だった。裕福な一族の住まいだったはずの四合院には、地方から移住してきた三世帯の無関係な労働者の家族が密集して暮らし、風雅とは程遠い荒廃ぶりだった。ここ、曾氏所有の四合院には清時代の趣が取り戻されている。
20世紀後半、中国は文化大革命で多くの歴史的遺産を失った。しかし、それは脈々と続く中国5000年の歴史の中では一瞬の出来事に過ぎない。曾氏の言葉の端々に、中国の伝統文化を守る熱い思いが溢れていた。その悠久の時間に思いを馳せながら、邸宅を後にした。文化の多様性について考えさせられた訪問だった。
北京市内での取り壊される運命にあった清代の古建築をスタジオの敷地内に移築。文人の美意識を追求する曾氏が日本で好きな場所は京都だそう。
曾小俊◎画家。1954年北京に生まれる。81年中央美術学院(北京)卒業後10年以上の米国生活を経て、現在北京で活動中。明時代の文人画に影響を受けた作品で知られる。ボストン美術館(2010年)をはじめ、欧米各地で作品が紹介されている。中国現代で最も人気を集める水墨画家の一人。
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