高等教育無償化は、低所得者層のためと言うけれど

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本当に機会均等にするならば

ではどうすれば良いか。教授の考えでは、(特に日本のように国家財政が逼迫している国家においては)国立大学の授業料の上限を引き上げて支払い能力のある世帯からの徴収額を増やすと同時に、奨学金制度を充実させるのが妥当だろうというものだ。

これは、私たちが運営するInternational School of Asia, Karuizawa(ISAK)が採用するモデルに一致する。ISAKでは、授業料の上限は寮費を除いても年間250万円を超え、日本で恐らくもっとも授業料の高い私立高校だと思うが、この金額を支払っているのは3割の生徒のみ。残り7割の生徒には、世帯ごとの支払い能力に応じて数十万円から全額までの奨学金が適用され、授業料の自己負担額が異なる。在校生の経済状況に格差があればあるほど、こうしたモデルを採用する意味が大きくなるのではないだろうか。

経済・社会的リターンにも配慮を

一方で教授は、授業料の引き上げは、経済的リターンに繋がりにくい学部への進学を妨げる副作用につながるとも指摘する。「教育の投資効果を議論する際には経済的側面が重視されやすいが、社会的な側面も忘れてはいけない」と。

つまり、スタンフォード大学のように学費が高額な場合、卒業後にその授業料の「もとがとれる」学部へ進学したいと思う学生が増えるため、例えば教育や看護など、社会的な必要性は高いが必ずしも高い生涯収入が期待できない学部へは進学希望者が減る傾向にある、という懸念だ。

その対策として、例えば経済的なリターンの大きいビジネススクールやロースクール(法科大学院)、エンジニアリング関連学部の授業料は高く設定し、社会的なリターンの大きい教育学部などは授業料を低く設定するなどの配慮が必要なのではないかと主張する。

日本でも私立大学では学部ごとに異なる授業料が設定されているが、国立大学でもこうした方式の採用を検討する価値はあるかもしれない。

また教授は、オーストラリアの事例を挙げて、在学中は全員が無償で学ぶことができるが、卒業後に個々人の年収に比例して変化する金額を国家へ返済するモデルも一考に値するとアドバイスをくれた。個人的に、この指摘は非常に的を得ていると感じている。

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スタンフォード大学にて、マーティン・カーノイ教授教授と

「高等教育の無償化で、全ての人に教育のチャンスを」

聞こえは良いが、その実現に際しては多様な要素を勘案して注意深い制度設計が必要になると感じる。次回は、上記をふまえて「無償化するに値する大学教育」をテーマに、世界の潮流から取り残されつつある日本の大学教育の現状と、その改革を妨げている要因について、考えをまとめてみたい。

文=小林りん

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